檸檬の黄昏
「至れり尽くせり、申し訳ございませぬ」
茄緒がカップから口を離すと正座をして、武士のように頭を垂れた。
「まったくだ。アルバイト先に連絡しろ」
耕平は呆れながら自分のスマホを取りだし茄緒に差し出す。
茄緒が道の駅に電話をするとやはりテーブルの上にあったようで、金庫の中に保管してあると告げられた。
通話を終える。
「雨が上がったら行ってみます」
スマホを耕平に返す。
それ以上言葉が続かない。
耕平も無言で受け取りポケットにスマホを戻す。
気まずい空気が流れる。
会社や外では気軽に話せるのに、二人だけだと上手く言葉が出てこない。
話したい事や訊きたい事は沢山ある。
耕平は二本目の電子煙草カートリッジを差し込む。
彼は立ち上がりキッチンへ向かうと換気扇を作動させ、そこで電子煙草を吸い始めた。
茄緒に配慮しているということだろうか。
外は雷鳴が強く重く響いている。
家の建物を響かせるほどだ。
「停電するかもしれんな」
耕平が煙を吐き出しながら、キッチンで呟いた。
「耕平さん。まだ雷は止みそうにありませんし。わたしは雨が上がったら適当に出て行きますから、休んで下さい」
海外出張から帰って来たばかりで疲れているだろう耕平を茄緒は気遣ったつもりなのだが、飛行機では寝ていたからあまり疲れていない、と彼は答える。
「………」
煙草を吸い終えた耕平は何か思い出したように、リビングに置きっぱなしのスーツケースに近づき、開ける。
そして中から手のひら大の箱を取りだし、茄緒に差し出した。
「え、わたしに?」
耕平が頷き、茄緒は戸惑いながら受けとる。
「開けてもいいですか?」
「ああ」
茄緒が訊ねると、再び耕平が頷いた。
箱を開ける。
中身はチョコレートだった。
箱を開けると艶やかな色使いが美しい花の形をした、見た目も楽しいチョコレートの詰め合わせだった。
中央のハート型チョコレートも可愛らしい。
甘い芳香が鼻をくすぐる。
茄緒の瞳が輝いた。
「わあ。すごい綺麗なチョコレートですね」
「向こうで有名な店のチョコレートなんだそうだ」
「すごく嬉しいです、ありがとうございます」
茄緒は笑顔で礼を述べる。
今まで海外出張も珍しくなかった耕平で事務所に土産を持って来ることはあったが、茄緒個人に贈ることは初めてだ。
もちろん深い意味もないこともわかっている。
「耕平さん、忙しかったのに。お心遣いがとても嬉しいです」
再び礼を述べ茄緒は頬を赤らめた。
辞めずに頑張って良かった、と茄緒は心から思った。
茄緒の感激ぶりに耕平は動揺したのか拳を口元に当て、軽く咳払いをした。
「………これで釣り勝負のことは、チャラにして欲しい」
耕平がボソリと呟く。
出張前のそんなことは忘れていた茄緒は一瞬あっけにとられた後、吹き出した。
「はい。わかりました。また釣りに行きましょうね」
茄緒は笑顔で頷いた。
「ああ」
短く耕平も返事をしたが表情は穏やかである。
それから茄緒は耕平の淹れたコーヒーと共にそれを頂いた。
甘くまろやかに口の中で溶けていく。
苦味のあるコーヒーとの相性は抜群であった。
二個めを口に運ぼうとしたがそれを止め、耕平近くへ歩み寄る。
「耕平さんもどうぞ」
茄緒が耕平の口元へ運ぶ。
「やめろ」
当然、拒否していた耕平だったが抵抗仕切れなくなり、嫌々ながら口を開く。
ようやく茄緒の手からチョコレートを食べた。
「やった、餌付け成功」
茄緒が笑顔でガッツポーズを決めた。
「おれはペットか」
不機嫌そうに彼は云ったが瞳は優しく茄緒を受け入れていた。
悪い気はしていないようだ。
「耕平さんだってバーベキューの時に、わたしを串で釣りましたよね」
「あれはなあ……」
外は雷が鳴り響きどしゃ降りである。
ふたりの会話は続いている。
茄緒の檸檬の木は小さなつぼみが見えていたが、茄緒はまだ気づいていない。