檸檬の黄昏
季節は流れ八月。
夏真っ盛りである。
木々は緑に溢れセミの声がいっそう暑く感じさせる。
茄緒宅の檸檬は花をいくつか咲かせ可憐な白い花を見せつけていた。
その日、地方新聞に以前取材を受けた石田の記事が掲載され、道の駅の勤務中、茄緒はそれを見る。
ティーシャツ、ハーフパンツに黄色の三角巾、黄色のエプロン姿である。
『道の駅の魅力、大紹介!』
タイトルは予定の茄緒ではなくなっている。
そして茄緒の名前も仮名のNさんとなっていて、茄緒の写真は後ろ姿だけだった。
石田が気を使ってくれたようだ。
後ろ姿の茄緒が紹介している風な写真で上半身だけに写っており、誰かはわからない。
身長も誤魔化せているように思う。
これなら仮に禿が見た所で目にも止めないだろう、と茄緒は安堵した。
新聞を見ていると手伝いに来ていた小夜が手を振りながら近づいてくる。
「茄緒ちゃん、新聞見たわよ。後ろ姿でも、茄緒ちゃんってわかるわね」
小夜の言葉に茄緒はドキリとした。
「わたしってわかりますか?」
「だって、こんなにスタイル良い人いないわよ。私はドレスも作ったから、わかるのかしら?」
小夜は小首を傾げる。
茄緒は他の従業員にも訊ねてみたが、小夜以外は誰もわからなかった。
何やらスッキリしない不安が茄緒の胸に沸き上がるが、考え過ぎだと首を横に振る。
茄緒は新聞を売り場へ戻すと納入された野菜を棚へ並べ始めた。
勤務終了まで、あと少しというとき。
ひとりの長身男が店内に姿を現した。
「いらっしゃいませ。……あ、耕平さん!」
ポロシャツに綿のパンツ。
髭は剃ってあり髪もそれなりに整えてある。
「珍しいですね、耕平さんがいらっしゃるなんて」
茄緒が笑顔で迎えるが、耕平はいつものように愛想とは縁遠い。
「たまにはな」
「まあ耕平くん。いつもスーパーしか行かないのに、珍しいわね」
小夜が姿を見つけて笑いかける。
「ええ。近場で済ませたかったので」
「美味しいお野菜いっぱいあるから。たくさん買っていってね」
「そうですよ。お野菜も美味しいですけど、地元特産高級肉も美味しいですよ」
茄緒が保冷ケースに案内する。
耕平がパックを選びながら口を開いた。
「カード使えるのか?」
「使えません。現金のみでよろしくです」
「マジか」
「なんなら立て替えましょうか?お客さま」
意地悪な瞳で耕平の顔をのぞき込む。
「あんたに借金するほど、落ちぶれてない」
「たまには、わたしに借りを作ってもいいんですよ?」
「ごめんだな」
「あーあ、かわいくない」
茄緒が手のひらを上に向けて踵を返したとき。
小夜が茄緒の元へ走って来た。
「茄緒ちゃん、外国のお客さんなの。ちょっと来て」
「あ、じゃあ耕平さん、また」
小夜に連れられて茄緒はその場を去る。
金髪の若い男が困ったように話しかけてきた。
英語ではない。
(ああ、これはイタリア語?しかも訛りがある)
英語を話せるか聞くと男は少しだけと答える。
茄緒とてだいぶ英語力はついていたはずなのに、あまり通じていないようだ。
茄緒が困っていると、
「Cosa sta succedendo(どうかしましたか?)」
流暢なイタリア語が後ろから聞こえた。
「耕平さん」
茄緒が振り替えると耕平がいた。
金髪の男は助かったとばかりに、耕平に質問している。
「耕平くん、言葉がスラスラね」
小夜が感心する。
「敬司さんもたくさん話せますよね」
「敬司はあちこち連れていかれたからね。私は全く覚えられなかったけど」
敬司の父親はもう長いこと海外赴任らしい。
幼い頃は中華圏を中心に過ごしたが、高校進学を機会に敬司と母親である小夜は日本に落ち着いた。
敬司がアジア系言語が堪能なのは、そこにある。
「そうだったんですか、知らなかった」
「高校で耕平君と敬司が出会ったのはもう運命としか云えないわね。今の年齢になっても、つるんで仕事なんてねえ」
茄緒と小夜が話している間に耕平は会話を終えたようだ。
日本の田舎を見たくて来たが、思ったより難しく遭難しかけたと云っていたそうだ。
とりあえず街に出るよう伝えバスを教えたという。
「耕平さん、訛りがあるイタリア語も平気なんですね。わたし、まったく聞き取れませんでした」
「工場委託は地方が多いからな」
「あ、あのう」
耕平のやり取りを見ていた道の駅の他の従業員が耕平に話しかけてきた。
若い女、年輩パート従業員も、みな目がハートになっている。
「お茶でも飲んでいかれませんか?試食もありますよ」
いつもは髭と髪で素顔の見えない耕平だが今日はこざっぱりとした姿を晒しているので、周囲の印象を変えたようだ。
オマケに言葉が堪能ときている。
「わたしの秘密だったのになあ。耕平さんがイケメンだって」
茄緒が口を尖らせいじけてみせる。
「確かに耕平くん、前より身なりを整えるようになったわね。ここに来た頃は本当にひどかったわよ」
浮浪者そのものだった、と小夜が云った。
確かに耕平は茄緒が引っ越してきた当時よりも髭を剃る回数も増えた。
出会った頃のような状態には、なっていない。
「耕平さんもオトナになってきたのかな」
茄緒が呟く。
茄緒はそのあとレジに品だしをこなした。
来店した高齢者には補助したり、忙しく働いている。
女性に囲まれた耕平は茄緒に目を移す。
何か質問攻めにされているが彼には聞こえていない。
その働く様に彼は違和感のような引っ掛かりを覚えるのだ。
そうそれはまるで、かつての自分のようだと。
茄緒は自分を追い込まないと保てない精神状態にあるのではないか、と耕平は思うようになっていた。
夏真っ盛りである。
木々は緑に溢れセミの声がいっそう暑く感じさせる。
茄緒宅の檸檬は花をいくつか咲かせ可憐な白い花を見せつけていた。
その日、地方新聞に以前取材を受けた石田の記事が掲載され、道の駅の勤務中、茄緒はそれを見る。
ティーシャツ、ハーフパンツに黄色の三角巾、黄色のエプロン姿である。
『道の駅の魅力、大紹介!』
タイトルは予定の茄緒ではなくなっている。
そして茄緒の名前も仮名のNさんとなっていて、茄緒の写真は後ろ姿だけだった。
石田が気を使ってくれたようだ。
後ろ姿の茄緒が紹介している風な写真で上半身だけに写っており、誰かはわからない。
身長も誤魔化せているように思う。
これなら仮に禿が見た所で目にも止めないだろう、と茄緒は安堵した。
新聞を見ていると手伝いに来ていた小夜が手を振りながら近づいてくる。
「茄緒ちゃん、新聞見たわよ。後ろ姿でも、茄緒ちゃんってわかるわね」
小夜の言葉に茄緒はドキリとした。
「わたしってわかりますか?」
「だって、こんなにスタイル良い人いないわよ。私はドレスも作ったから、わかるのかしら?」
小夜は小首を傾げる。
茄緒は他の従業員にも訊ねてみたが、小夜以外は誰もわからなかった。
何やらスッキリしない不安が茄緒の胸に沸き上がるが、考え過ぎだと首を横に振る。
茄緒は新聞を売り場へ戻すと納入された野菜を棚へ並べ始めた。
勤務終了まで、あと少しというとき。
ひとりの長身男が店内に姿を現した。
「いらっしゃいませ。……あ、耕平さん!」
ポロシャツに綿のパンツ。
髭は剃ってあり髪もそれなりに整えてある。
「珍しいですね、耕平さんがいらっしゃるなんて」
茄緒が笑顔で迎えるが、耕平はいつものように愛想とは縁遠い。
「たまにはな」
「まあ耕平くん。いつもスーパーしか行かないのに、珍しいわね」
小夜が姿を見つけて笑いかける。
「ええ。近場で済ませたかったので」
「美味しいお野菜いっぱいあるから。たくさん買っていってね」
「そうですよ。お野菜も美味しいですけど、地元特産高級肉も美味しいですよ」
茄緒が保冷ケースに案内する。
耕平がパックを選びながら口を開いた。
「カード使えるのか?」
「使えません。現金のみでよろしくです」
「マジか」
「なんなら立て替えましょうか?お客さま」
意地悪な瞳で耕平の顔をのぞき込む。
「あんたに借金するほど、落ちぶれてない」
「たまには、わたしに借りを作ってもいいんですよ?」
「ごめんだな」
「あーあ、かわいくない」
茄緒が手のひらを上に向けて踵を返したとき。
小夜が茄緒の元へ走って来た。
「茄緒ちゃん、外国のお客さんなの。ちょっと来て」
「あ、じゃあ耕平さん、また」
小夜に連れられて茄緒はその場を去る。
金髪の若い男が困ったように話しかけてきた。
英語ではない。
(ああ、これはイタリア語?しかも訛りがある)
英語を話せるか聞くと男は少しだけと答える。
茄緒とてだいぶ英語力はついていたはずなのに、あまり通じていないようだ。
茄緒が困っていると、
「Cosa sta succedendo(どうかしましたか?)」
流暢なイタリア語が後ろから聞こえた。
「耕平さん」
茄緒が振り替えると耕平がいた。
金髪の男は助かったとばかりに、耕平に質問している。
「耕平くん、言葉がスラスラね」
小夜が感心する。
「敬司さんもたくさん話せますよね」
「敬司はあちこち連れていかれたからね。私は全く覚えられなかったけど」
敬司の父親はもう長いこと海外赴任らしい。
幼い頃は中華圏を中心に過ごしたが、高校進学を機会に敬司と母親である小夜は日本に落ち着いた。
敬司がアジア系言語が堪能なのは、そこにある。
「そうだったんですか、知らなかった」
「高校で耕平君と敬司が出会ったのはもう運命としか云えないわね。今の年齢になっても、つるんで仕事なんてねえ」
茄緒と小夜が話している間に耕平は会話を終えたようだ。
日本の田舎を見たくて来たが、思ったより難しく遭難しかけたと云っていたそうだ。
とりあえず街に出るよう伝えバスを教えたという。
「耕平さん、訛りがあるイタリア語も平気なんですね。わたし、まったく聞き取れませんでした」
「工場委託は地方が多いからな」
「あ、あのう」
耕平のやり取りを見ていた道の駅の他の従業員が耕平に話しかけてきた。
若い女、年輩パート従業員も、みな目がハートになっている。
「お茶でも飲んでいかれませんか?試食もありますよ」
いつもは髭と髪で素顔の見えない耕平だが今日はこざっぱりとした姿を晒しているので、周囲の印象を変えたようだ。
オマケに言葉が堪能ときている。
「わたしの秘密だったのになあ。耕平さんがイケメンだって」
茄緒が口を尖らせいじけてみせる。
「確かに耕平くん、前より身なりを整えるようになったわね。ここに来た頃は本当にひどかったわよ」
浮浪者そのものだった、と小夜が云った。
確かに耕平は茄緒が引っ越してきた当時よりも髭を剃る回数も増えた。
出会った頃のような状態には、なっていない。
「耕平さんもオトナになってきたのかな」
茄緒が呟く。
茄緒はそのあとレジに品だしをこなした。
来店した高齢者には補助したり、忙しく働いている。
女性に囲まれた耕平は茄緒に目を移す。
何か質問攻めにされているが彼には聞こえていない。
その働く様に彼は違和感のような引っ掛かりを覚えるのだ。
そうそれはまるで、かつての自分のようだと。
茄緒は自分を追い込まないと保てない精神状態にあるのではないか、と耕平は思うようになっていた。