檸檬の黄昏

敬司はといえば。

彼も別に怒ってなどはいない。

ただ単に耕平を面白がっているだけだ。


近頃の耕平はいちいち反応するので、からかいがいがある。


彼はとある町工場の関係者に誘われ、禿雅史の講演会に訪れていた。
先鋒の社長、社長秘書、副社長、敬司の四人である。


県が運営しているイベントホールで1500ほどソファ座席があり、敬司たちは招待席の最前列に腰かけている。

流行りの先生がやって来るそうなので一緒にどうか、と声をかけられたのだ。

観客はスーツか半分、私服が半分、そして六割が女性だった。
もちろん敬司たちはスーツ組に入る。

ここは敬司や耕平の暮らす地元ではなく車で一時間ほどの地方の湊町だ。

来月にはその地元で講演会を開催することが決まっている。


もちろん敬司は禿が茄緒の元夫であることは知らない。
仮に知っていたところで敬司にとっては、何の問題もないが。


やがて講演会が始まり、禿が登壇する。


自分がどういう経緯で弁護士になったか、どういう事件を取り扱ったことがあるか。

面白おかしく身振り手振りわかりやすく説明をして、一時間の演説を終えた。

敬司が合間にリーフレットに目を通す。

禿雅史のプロフィールだ。

禿の家は資産家でいくつか不動産を所有しているらしい。



「………」



敬司がグローブのような手で顎をなでる。

彼が唯一引っかかるポイントがそこだったからだ。

演説終了後、女性ファンがステージに殺到し、花束を差し出したり握手を求めたりで混雑した。
何か仕草や声をかけるだけで黄色い声が飛ぶ。


敬司はそれらを尻目に会場を出ると喫煙室で煙草に火を着ける。


彼意外は非喫煙者であるため彼だけが喫煙者だったのだが、会場全体でも少ないようだ。

敬司の他に二人が喫煙室にいたが、吸い終えると早々にその場から離れる。



喫煙室には彼ひとりだけになった。



内容はともかく、カリスマ性のある人物であることは確かなようだ。


敬司は煙を吐き出す。


禿雅史講演会を振り替えっていると、報道の腕章をつけた男が飛び込んできた。

ポロシャツに麻のパンツ姿で、名札を下げている。

石田だった。



「すみません、失礼します」



石田は電子煙草を取り出す。

とはいってもフレーバー風味のニコチンなしの煙草だった。
腕で汗をぬぐい、一呼吸ついた。



「記者さんも大変ですね」



敬司が声をかけると、一瞬、敬司の大きさと迫力に唖然としたが、すぐに石田は苦笑する。



「ありがとうございます。頑張りますよ」



石田は答えたが、どこか端切れが悪い。

それは禿に顔を知られていたので出禁にされそうになり、アシスタントに代わりを頼み出てきた所だったからだ。



「禿の関係者の方ですか?」
「いえ。接待です」
「そうですか。これも何かのご縁なので、名刺をどうぞ。自分、こういう者です」



石田が名刺を差し出す。

敬司も名刺を渡すと石田は社名を見て、声をあげた。



「存じております!輸出代理店の会社ですよね」
「それは光栄です。まあ小さな会社ですが」
「改めてご連絡しますので、取材させて頂けませんか?」



石田が云った。

敬司は心の中で頭の上で両手の指先をつけ、丸をつくる。

しかし表では困惑した表情で口を開く。



「申し訳ないが、社長にも訊かないと直ぐには返事はできませんね。気難しい人物なので」
「いえ、こちらこそ。先走って申し訳ない」



石田が失礼しました、と頭を下げる。
敬司が話題を変える。



「禿雅史弁護士は、テレビにもよく出演されているそうですね。女性ファンが多いようで羨ましい」
「禿は表面上は完璧ですからね」
「あなたはあまり、良くは思われていないようですが」



敬司の言葉に石田は本音を言い過ぎたと、苦く笑う。


「困ったな。僕は記者として失格ですね」
「いや実は自分もあの弁護士、ちょっと違和感があったのでね。同じ感想で嬉しいですよ」



敬司が白い歯を見せて意地悪く笑う。
石田はまたやられた、と笑った。



「参ったな。御社に取材は、一筋縄では行かないですね」
「申し込み、お待ちしてますよ」



ふたりは握手を交わし石田は出ていく。


敬司はこの後、旨い海鮮料理の店で会食することになっていたのでそちらへと向かった。


お盆前の暑い一日である。
< 47 / 85 >

この作品をシェア

pagetop