檸檬の黄昏
「耕平。おまえ、めちゃくちゃだぞ」
茄緒が退社した事務所で、敬司が友人をサングラス越しに見つめる。
「おまえの私情に茄緒ちゃんを巻き込むな。最低だ、おまえは」
敬司は他にも色々と云いたいことはあったようだが、呆れて必要以上のことは云わなかった。
耕平は無言である。
チェアから立ち上がると事務所の外へ出で行く。
暑い昼間とは違い心地良い風が吹いている。
電子煙草をふかしながら空を見上げると、静かに星が耀いていた。
街の明かりが少なく山に覆われたこの土地は星がよく見える。
耕平はふと子供の頃を思い出した。
仕事に忙しい両親は学校の長期休暇は必ず自宅以外の家へ行かされた。
仕事が忙しい両親にとって、そうすることが効率的だったのだろう。
幼い耕平は逆らい抵抗したこともあったが全てが無駄だと悟り、それに従っていた。
そして気づいた時には家族は向きたい方向を向いて歩く、思い出も何もない希薄な関係になっていた。
唯一、楽しかったことは日本の祖父母との生活だった。
釣りを覚え自然と触れあい遊んで帰れば、祖父母が笑って出迎えてくれる。
そう、その姿はまるで──
耕平さん
耕平の口元が自然にほころぶ。
フランスから戻ったあの日。
茄緒に会いたいと思った。
写真の沙織ではなく早く茄緒に会いたい、茄緒の声が聞きたいと思ったのだ。
沙織はもういない。
しかし茄緒はいる。
明白だ。
わかっていたのだ。
だから指輪を外した。
沙織が春の陽だまりならば、茄緒は夏の煌めきだった。
自分は両方手に入れようとした。
だから仕事に託つけて縛り付けようとした。
電子煙草の蒸気を吐き出した。
「全く。最低だな、おれは」
自分に失望している耕平を夏の夜空は見下ろしていた。