檸檬の黄昏


石田が取材に来るその日、茄緒は眼鏡ではなくコンタクトレンズを装着した。
シャツにジーンズを身につけパンプスを履き薄い化粧を施し出社する。
イヤリングと華奢なネックレスを身につけた。

いつもより少し早めに事務所に訪れると敬司しかおらず、聞くと耕平は着替えに一端、家に帰ったそうだ。


茄緒は片付けや清掃を行う。


敬司が気づいたように茄緒を眺める。
ちなみに敬司は黒いスーツに赤いシャツ黒ネクタイ、と彼の定番スーツスタイルだった。


「茄緒ちゃん、いつもと少し違うな」
「一応、外部の方がいらっしゃるので……気をつけてきました」
「いつもかわいいけど、さらに綺麗になったなあ」
「ありがとうございます」

茄緒は照れ笑いを返す。

事務所のドアが開き耕平が姿を現す。

髭を剃り髪も整え首もとのボタンを空けたワイシャツと、グレーのベストを身につけている。
グレージャケット赤系のネクタイをを小脇に抱えていた。
パンツもグレーのスリーピーススーツ姿である。


「三人とも事務所できちんとした格好での仕事は、初めてだな」


敬司が云った。


「窮屈だ」


耕平はため息をつき自分のチェアの背もたれにジャケットとネクタイを放り投げると、ドサッと腰かけ一呼吸おく。
更に一度は止めたシャツのボタンを再び外そうと、触れる。


「ああ、また耕平さん」


茄緒は耕平に近づくと前屈みで手をどけてワイシャツのボタンをかける。
椅子にかけられたネクタイを取ると手際よく締め始めた。



「春の親睦会を思い出しますね」


茄緒はネクタイを形良く締め終えると満足気に頷いた。


「今日はがんばってください……」


ね、と云った茄緒の前に耕平の顔がある。
黒い瞳が見つめていた。

茄緒は顔を赤くして文字通り飛び離れる。


「ごめんなさい、弟のネクタイをよく締めていたのでつい……!」
「なんだなんだ、汗かいちゃったぜ?」


敬司がグローブのような手で自分の顔を仰いでいる。


「茄緒ちゃんは大胆だな。オフィスラブとは」
「ち、違いますっ誤解です!」
「耕平とイチャコラしてたじゃん」
「してません!」

慌てふためく茄緒を尻目に耕平は無言でジャケットを羽織る。


「そろそろ時間だな」


耕平は腕時計に目を落とすとデスクに置いた電子煙草を持ち、立ち上がると外に出て行った。


「おれも煙草タイム」


敬司も追うように事務所の外へ出て行く。
外で耕平に絡みまくっている敬司が見えた。
今の事で、面白がって追及しているに違いない。

ひとり事務所内に残された茄緒は、顔を赤くさせたままバッグから水筒を取り出すと、勢いよく流し込む。

少し落ち着き、茄緒はあまり考えないようにして事務所の片付けに勤しんだ。



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