檸檬の黄昏
「耕平さんは、どうして日本へ?」
「日本が好きだったからだ」
耕平はリールを巻いて釣糸を手繰りよせる。
餌だけがなくなっており、餌を付け直す。
海へ向けて再び竿を振る。
耕平の父親も母親も元々は日本出身の日本人だ。
父方の祖父母宅へは子供の頃から夏休みなどの長期休みは兄弟で必ず宿泊しており、耕平はそこに住みたいと常々思っていた。
今の借家の場所に似た田舎で、祖父母宅での自然に囲まれた生活が好きだったと懐かしそうに云った。
「高校進学の時に日本で進学を決めた。大学は向こうだったが国籍も日本にしたし、大学卒業後はずっと日本暮らしだ」
祖父母宅を継ぎたかったがダム建設で沈んでしまい、それはできなかったという。
「仕方がないさ、仕事は東京だったからな。どのみち住み続けることは無理だったかもしれん」
電子煙草を取り出すと口にくわえる。
その時、茄緒は竿のしなりと引きを認識しリールを巻いた。
手応えを感じ竿を上げるとアジが釣れた。
やった、と茄緒は満面の笑みで針を外すと生け簀に放る。
「わたしが先制ですね」
茄緒が心底嬉しそうに、そしてどこか意地悪く笑う。
「あんたはどうなんだ」
耕平が憮然と煙草をふかす。
「わたしは普通の家庭ですよ」
茄緒がは答えたが、どこか影のあるように見えた。
「父はサラリーマンで母は学校の先生でした。二人でいつも仲が良くて。自分も結婚したら、あんな風になれるんだと思っていました」
茄緒は海を見つめる。
「仲が良すぎたんでしょうかね。わたしが高校に上がる前、父が病気で亡くなり、母も追うように亡くなりました」
耕平は無言で話を聞いている。
「それからは弟と二人です」
風が吹いて茄緒と耕平の頭髪を乱す。
船も揺れた。
時間が流れ茄緒が口を開く。
「……耕平さん。再婚は考えていないんですか?」
茄緒は訊ねる。
耕平は電子煙草をしまうと一端、竿を引き上げる。
餌が付いているか確認すると再び竿を振った。
「……おれは沙織が好きだった。愛していたと云ってもいい。突然いなくなった沙織の思いを、無下にしたくない」
「じゃあどうして指輪を外したんですか?」
茄緒がストレートに尋ねる。
「ただ単にサイズが合わなくなっただけだ。深い意味はない」
耕平が海を見つめたまま答えた。
「本当ですか?」
茄緒が耕平の顔を覗きこむ。
耕平が茄緒から視線を反らした。
その仕草は、耕平が自らを欺くことの証明であった。
「ああ」
「それなら良かった。信じます」
茄緒がほっとしたように声を出し耕平は茄緒に顔を向ける。
この時の茄緒は、それを知りながら見ないようにしていた。
「それなら、耕平さんは……」
何かを云いかけ茄緒は口をつぐんだ。
船首が時間が来たことを告げ船は岸に戻り始める。
三時間の海釣り勝負の結果、茄緒が五匹、耕平が八匹釣り上げ、勝利した。