檸檬の黄昏
涼と別れた帰り際、機材を社用車に詰め込んでいる石田と会った。
「ありがとうございました。石田さん」
茄緒が改めて礼を述べる。
石田は詰め込む手を休め茄緒に向き直る。
「いえ。やっとリベンジできました。これで、ますますこの業界が楽しくなりますよ。涼君から話を聞いた時は、どうなることかと思いましたが」
石田は涼との会話を思い出していた。
海沿いのレストランでの取材の時だ。
協力を余儀なくされた石田が、涼の話を訊いている。
窓際の海の見えるテラス席で丸テーブルを挟み、二人は向き合って会話している。
「今度、禿雅史の講演会がありますよね」
涼の言葉に石田が頷いた。
「実はおれも撮影なんです。同じ場所で」
禿より先にセットだとわからないセットを設置しておく。
禿の講演会は人を集めて行うが、涼のミュージックビデオ撮影は極秘で行う。
そこが狙い目だと涼は云った。
「そんなこと、出来るのかい?」
「出来る出来ないじゃなく。やるんですよ」
涼の目が石田を見つめる。
「とは云っても、おれは罠を張るわけじゃない。勝手に向こうがおれの撮影場所に入ってきた、という具合になる算段です」
石田にはそこで証拠となる場面を撮影して欲しい、と涼は云った。
「おれ側のカメラだけじゃ、不十分です。外部からの撮影もあった方がいい」
涼の撮影は極秘なので禿の撮影から偶然撮れた風になると良い、と涼が云う。
信頼できるカメラマンは石田の他にいない、とも続ける。
石田が息を吐いた。
「恐ろしい計画を立てたな、涼君」
「姉には幸せになってもらいたいですからね。あの火傷を負わされたとき、おれは無力でした」
二十歳の頃の駆け出しのスタントマンだった涼には、どうすることも出来なかった。
しかし今は違う。
耕平には既に話したことも説明する。
「坂口社長は、なんて?」
「あっさりオッケーしてくれました。それに禿のことは、あの人なりの考えがあるみたいです」
ーー
回想から現実に戻った石田は笑った。
「それにしても、ナオさん。坂口社長とお似合いです」
石田が改めて茄緒と耕平を見つめる。
「おれ実はゲイなんです。くっついてなかったら、ナオさんとは恋敵になっているところでしたよ」
石田は笑い茄緒は目が点になった。
知り合いとしての年数は長かったが、初めて知った真実に茄緒は衝撃を受け立ち尽くす。
耕平は無言である。
しかし石田は指輪を付けていたはず。
茄緒の突っ込みに石田は頭を掻いた。
「一応、同棲相手はいますからね。さっきの発言、浮気だって怒られるかな」
幸せそうに語る石田を茄緒は見つめた。
そうだったのか。
石田は憧れの男性だった。
甘酸っぱい憧れが懐かしく茄緒の胸を駆け巡る。
それはきっと、彼の人柄に惹かれていたからなのかもしれない。
石田とも別れ駐車場に向かう途中である。
「おい」
隣の耕平の声は不機嫌そのものである。
「おれを前に、よく憧れだの云えるな」
「耕平さんだって奥さまのこと、話してたじゃないですか」
「それは……」
ああ、なんと云うことだろう。
無表情で寡黙、冷静沈着、超エリートのはずの男が焦っている。
茄緒の前ではそのようなものは全て無意味なものであり、仮面は塵となって崩れ去っていってしまうようだ。
言葉を失い慌てる耕平に茄緒は笑った。
「じゃあ、おあいこですね」
茄緒は小走りに耕平の正面に回り歩みを止める。
そのまま抱きついた。
「ありがとう耕平さん。耕平さんに会えなかったら、何も変われなかった」
耕平は安堵したように茄緒の背中に腕を回す。
「ああ。おれもだ」
無感情なはずの耕平が優しく笑みを浮かべ、耳元で口を開く。
「行こうか」
「はい」
茄緒は頷く。
耕平は茄緒の肩を抱き、茄緒は耕平に寄り添い二人は歩いていく。
青く青く明るく澄み渡った秋の空は二人を祝福しているかのようだった。
道端には朝露に濡れた花が咲いていた。
そして、その日。
茄緒と耕平はお互いの自宅へは戻らなかった。
主のいない茄緒宅のテラスの檸檬の実は、酸味のある爽やかな柑橘の香りを振り撒いていた。
「ありがとうございました。石田さん」
茄緒が改めて礼を述べる。
石田は詰め込む手を休め茄緒に向き直る。
「いえ。やっとリベンジできました。これで、ますますこの業界が楽しくなりますよ。涼君から話を聞いた時は、どうなることかと思いましたが」
石田は涼との会話を思い出していた。
海沿いのレストランでの取材の時だ。
協力を余儀なくされた石田が、涼の話を訊いている。
窓際の海の見えるテラス席で丸テーブルを挟み、二人は向き合って会話している。
「今度、禿雅史の講演会がありますよね」
涼の言葉に石田が頷いた。
「実はおれも撮影なんです。同じ場所で」
禿より先にセットだとわからないセットを設置しておく。
禿の講演会は人を集めて行うが、涼のミュージックビデオ撮影は極秘で行う。
そこが狙い目だと涼は云った。
「そんなこと、出来るのかい?」
「出来る出来ないじゃなく。やるんですよ」
涼の目が石田を見つめる。
「とは云っても、おれは罠を張るわけじゃない。勝手に向こうがおれの撮影場所に入ってきた、という具合になる算段です」
石田にはそこで証拠となる場面を撮影して欲しい、と涼は云った。
「おれ側のカメラだけじゃ、不十分です。外部からの撮影もあった方がいい」
涼の撮影は極秘なので禿の撮影から偶然撮れた風になると良い、と涼が云う。
信頼できるカメラマンは石田の他にいない、とも続ける。
石田が息を吐いた。
「恐ろしい計画を立てたな、涼君」
「姉には幸せになってもらいたいですからね。あの火傷を負わされたとき、おれは無力でした」
二十歳の頃の駆け出しのスタントマンだった涼には、どうすることも出来なかった。
しかし今は違う。
耕平には既に話したことも説明する。
「坂口社長は、なんて?」
「あっさりオッケーしてくれました。それに禿のことは、あの人なりの考えがあるみたいです」
ーー
回想から現実に戻った石田は笑った。
「それにしても、ナオさん。坂口社長とお似合いです」
石田が改めて茄緒と耕平を見つめる。
「おれ実はゲイなんです。くっついてなかったら、ナオさんとは恋敵になっているところでしたよ」
石田は笑い茄緒は目が点になった。
知り合いとしての年数は長かったが、初めて知った真実に茄緒は衝撃を受け立ち尽くす。
耕平は無言である。
しかし石田は指輪を付けていたはず。
茄緒の突っ込みに石田は頭を掻いた。
「一応、同棲相手はいますからね。さっきの発言、浮気だって怒られるかな」
幸せそうに語る石田を茄緒は見つめた。
そうだったのか。
石田は憧れの男性だった。
甘酸っぱい憧れが懐かしく茄緒の胸を駆け巡る。
それはきっと、彼の人柄に惹かれていたからなのかもしれない。
石田とも別れ駐車場に向かう途中である。
「おい」
隣の耕平の声は不機嫌そのものである。
「おれを前に、よく憧れだの云えるな」
「耕平さんだって奥さまのこと、話してたじゃないですか」
「それは……」
ああ、なんと云うことだろう。
無表情で寡黙、冷静沈着、超エリートのはずの男が焦っている。
茄緒の前ではそのようなものは全て無意味なものであり、仮面は塵となって崩れ去っていってしまうようだ。
言葉を失い慌てる耕平に茄緒は笑った。
「じゃあ、おあいこですね」
茄緒は小走りに耕平の正面に回り歩みを止める。
そのまま抱きついた。
「ありがとう耕平さん。耕平さんに会えなかったら、何も変われなかった」
耕平は安堵したように茄緒の背中に腕を回す。
「ああ。おれもだ」
無感情なはずの耕平が優しく笑みを浮かべ、耳元で口を開く。
「行こうか」
「はい」
茄緒は頷く。
耕平は茄緒の肩を抱き、茄緒は耕平に寄り添い二人は歩いていく。
青く青く明るく澄み渡った秋の空は二人を祝福しているかのようだった。
道端には朝露に濡れた花が咲いていた。
そして、その日。
茄緒と耕平はお互いの自宅へは戻らなかった。
主のいない茄緒宅のテラスの檸檬の実は、酸味のある爽やかな柑橘の香りを振り撒いていた。