一年後の花嫁
高校二年生の夏、両親が離婚した。
三度目の離婚。
血のつながった母の顔は、もうよく思い出せない。
ただ、どの継母とも関係は良好で。
仲の良い友達、みたいな。
傍から見れば複雑と言わざるを得ない家庭環境の中で、私がひねくれずに育ったのは、そのおかげだったのだろうと、今になれば思う。
父のことも、好きだった。
女癖が悪いところ以外は。
父の不倫が原因で別れることになるたびに、私は父に説教をした。
「もうしないから」、それが父の常套文句。
それでも、私が父に頼らなければ生きていけないことくらい、わかっていて。
だから、継母と別れるのも、友達と別れるのも、仕方のないことだと諦めていた。
だけど十七歳になる私は、初めてあのとき「嫌だ」と父に駄々をこねた。
そんなこと言ったって、どうにもならないとわかっていたのに。
『うるさいんだよ、声が』
二言目にはそう言って馬鹿にしてくる、隣の席の男子。
モテるし、それを自覚して調子乗ってるし、いつもいつも私のペースを乱してくる奴。
付き合ってもいないのに、勝手に人のこと抱き締めて。
なんでかその心臓の鼓動は、やけに速いし。
部活中、ふとしたときに目が合うと、次のプレーは全然冷静な判断ができなかった。
『浴衣、着てこいよ』
“浴衣なんて、持ってない”
私ならそう答えて終わりなはずなのに。
その日の夜、父と母に浴衣が欲しいとねだっていた自分。
まだあのときは、二人が別れるなんて知らなくて。
ふと見せた二人の悲しげな笑顔を、今でも覚えている。
その浴衣を母に着付けてもらっているときに、初めて離婚の話を聞かされた。
母は目にいっぱい涙を溜めて、「これが最後なんて」と呟いていた気がする。
次の私の居場所は、どうやら北海道らしく。
東京と北海道なんて、十七歳にははるか遠くに感じられた。
だからあの日、藤堂くんの言葉の続きを聞くことができなかったんだ。
“親の離婚で転校させられる、可哀想な子”
藤堂くんにだけは、そういう目で見られるのも嫌だったし。
結局は自分を守るために、私はあの日話を逸らした。
せっかく彼と見れた、最初で最後の花火だったけれど、それが綺麗だったかどうかはあんまり覚えていなくて。
覚えているのは、触れそうで触れない肩の距離と、どうしようもなく胸が苦しかったことだけ。