一年後の花嫁

私がこのとき直也に対して抱いていた感情は、きっと恋愛とは違った。

自分を救ってくれた恩人、親身に相談に乗ってくれる兄のような存在。
そういう意味で、隣にいて居心地がよかったし、たしかに私も、離れるのは寂しいと思った。

そんな一時の感情で彼と付き合って、ちょうど三年の記念日。
予定調和的な展開でプロポーズされたときも、彼と一緒になれるということよりも、自分がようやく独りではなくなる。
そのことの方が、ずっと嬉しかったんだ。

そんな私を見透かすように、婚約してからの彼は、どんどん以前までの彼とは違う人間になっていった。
あのときヘッドハンティングされた会社を辞めて、自分で会社を立ち上げて。
タイミングとしてはそれとぴったり重なるけれど、きっとそれは、あくまできっかけ程度のこと。

彼にもわかったんだろうと思う。
私が彼を恋愛対象として好いていないこと、それなのにプロポーズを受けたこと。

このタイミングでの藤堂くんとの再会は、まさに悪夢で。
まざまざと昔の自分と今の自分の違いを、思い知らされたような気がした。

―― あの頃、長妻のことが好きだった。

あの日、藤堂くんはそう言ってくれたけれど。
彼が好きでいてくれた私は、もうどこにもいない。

二人で住むには随分と大きい家も、毎月渡される二十万円のお小遣いも、直也と結婚したら、何不自由なく、これから先暮らしていけるだろう。
父の不倫で、あちこちに転校させられてばかりだった哀れな私が、社長夫人だ。

そういう打算も、少なからず自分の中にあることはわかっている。

あの頃みたいに、綺麗なままで藤堂くんと再会できていたら。
きっと私はあのとき、過去形にできなかった。

彼が呼んでくれる「長妻」は、十三年経ってもやっぱり特別で。
自分はなんでもわかってる、みたいな顔して上から目線で接してくるところも、全然変わってない。

触れそうで触れなかった肩が、大人になってももどかしかった。

……今の藤堂くんのことなんて、なんにも知らないのに。



婚姻届を鞄にしまう瞬間、朱色が一つ足りないような気がしたけれど、それはそれで都合がいい。

マフラーをきゅっと締めて、私は市役所へと向かった。


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