一年後の花嫁
「木下さん。山辺様と桃田様の装花の打ち合わせ、お願いします」
「……はい、すぐ行きます。藤堂サン」
ショートカットの髪を無理矢理耳にかけながら、木下千尋は嫌味たっぷりに、俺の名を呼んだ。
「悪かったよ。でもわかるだろ、この時期は」
「はいはい。いつもあなただけが忙しいみたいね」
俺の残業が気に入らない、フラワーコーディネーター。
木下千尋は、俺の彼女だ。
つまりさっき、俺の残業に長々と不満のメッセージを返してきた、張本人。
「そんなこと言ってないだろ。……木下さんが忙しいことも、もちろんわかってるよ」
「私は藤堂サンに会える日は、早々に仕事切り上げてますけど」
コツコツと鳴らすヒールの音が、いつもよりひどく耳に響く。
それは彼女の怒りがそうさせている実態なのか、それとも俺の被害妄想なのか。
どちらともわからなかったが、サロンへ足を踏み入れれば、俺も彼女もプロだ。
きちんとプロとして、山辺様と桃田様の元へご挨拶に伺う。
「装花を担当させていただきます、木下と申します。どうぞよろしくお願いいたします」
ちょうど三十度ぴったりの、お手本みたいに綺麗なお辞儀。
名刺を差し出す手つきも、気品に溢れている。
昔は、彼女のこのプロ意識の高さに惹かれていた。
結婚式前の新婦様のご意見は、大変にうつろう。
特に衣装と装花に関しては、後日やっぱり……なんてことも、往々にしてあるのだ。
そんなとき彼女は、毎回何度でも、新婦様のご相談に乗っていた。
そしてその新婦様が納得のいく装花を、必ず作り上げるのだ。
そんなところを尊敬もしていたし、それがそのうちに、恋に変わっていった。
「それでは私は、一度ここで。装花の打ち合わせが終わりましたら、また参りますので」
そう言って千尋に目配せすると、彼女は随分と鋭い目つきで、それに応えてくれた。
いつから彼女は、俺たちは、こんな風になってしまったのだろう。
― いや、心当たりはあるじゃないか。
付き合って二年、彼女は三十一歳、俺は三十歳。
十分に、適齢期を迎えていた。
最近彼女がよく口にする、「仕事がしんどい」「やめたい」、それはきっと、そのサイン。
それでも俺は、彼女が自分の片割れだとは、どうしても思えずにいた。
ここにいる新郎様たちのような顔で彼女を見つめることは、とてもできそうにない。
恋愛と結婚は別物、なんて言うが、それがこういうことなのだろうか。
いずれにせよ、たぶんお互いにもう気付いていた。
俺たちは終わりだと。
ただ、その話をする時間さえ、俺には惜しい。
それが彼女は気に入らないのだ。