一年後の花嫁
「あぁ……うん。ありがと」
「……そろそろ帰ろうかな」
長妻が、俺の隣を立った。
彼女が俺の言葉を遮ったのは、きっと牽制。
これ以上は来るな、という牽制。
キスしたくらいで調子に乗った俺が馬鹿だった。
彼女には、あいつがいる。
それはもう、どうやったって変えられないんだ。
「じゃあ」
俺があげたカイロを、小さな手に握りしめて。
彼女が軽く手を振った。
「……幸せに……」
どうにかこうにか、絞り出した言葉。
長妻の顔は、見ることができなかった。
去っていく背中を見送るのは、もうこれで何度目なんだろう。
また長妻は、俺の手の届かないどこかへ消えてしまうんだ。
ふらふらと反対側に向かって歩き出す。
脳内では、十三年前の長妻と今さっきまで一緒にいた長妻が、交互に駆け巡った。
きっと、こんな風に誰かを好きになることは、もうないだろう。
俺にとって長妻は、いつまで経っても、届きそうで届かない。
捕まえられそうで、いつも逃げられてしまう。
そういう特別な存在。
また誰かと付き合って、そのうちに結婚して、子供が出来たり、家を買ったり。
そういう普通の幸せが、きっと俺にも待っている。
だけどそのとき隣にいるのは、絶対に長妻じゃない。
ポケットで振動したスマートフォンを確認すると、千尋から「これ捨てていいよね」というメッセージと、首元のよれたTシャツの写真が送られてきていた。
―― 明人は、いつも終わってから大事なことを言うよね。
そのときふと、千尋のその言葉が脳裏をよぎる。
これで、終わりでいいのか?
普通の幸せを、長妻じゃない誰かと叶えて、それで幸せなのか?
俺が好きなのは、誰なんだ?
……好きだって、一度だって伝えてないくせに。
届かないとか、そんなのは当然だ。
俺は彼女に、そのときにちゃんと伝えられていなかったんだから。
三十にもなって、俺は全速力で長妻の後を追った。
もう間に合わないかもしれない。
だけど、まだだ。
まだ俺は、十三年前と同じことしかしていない。
あのとき、ちゃんと好きだと伝えていたら。
何十回も、何百回も、そう後悔してきた。
そんなの、もうこりごりだろ。