ひと雫おちたなら
ここは「少々お待ちください」ではないのか?
遮ってそう言い切った彼は、すたすたと先に行ってしまった。
私が追いついてくるのを待っていたかのように、睦くんがちらりと見下ろしてきた。
「あのあたりは適当に流して。相手にするだけ時間の無駄」
「え、でも一応お客様だし」
「これからどんだけ混むと思ってんの。まだかまだかっいうのには、今すぐって言っておけば満足するんだから」
「なんか、冷たーい」
オーダー表を見ながら話しつつ、お酒は私たちホール係が用意していく。
和菓子屋のバイトの時には、お客様一人一人と向き合って丁寧な接客って言われていたからそっちの方がどうしてもしっくりきてしまう。
こんなぞんざいに扱っていいものなのか。
「冷たいとかあったかいとか、そういう問題じゃなくて」
「睦くんって、彼女にも冷たいタイプでしょ?」
「次々さばいていかないとあとがつかえるの。とにかく今日は初日なんだから、流れ見て覚えて」
「人の話聞いてる?」
「ゆかりさんこそ俺の話聞いてる?」
早速仲がいいわね、と小塚店長にどやされて、うんざりしたように睦くんが首を振っているのは確認できた。
中身が満タンのビールジョッキがこんなに重いことを、私は知らなかった。
ぷるぷると震える手で片方三つずつ、両手で六つのグラスやジョッキを持って、そろりそろりと通路を歩く。
かなり前方のあたりから「早く」と急かす声。
…なんで、あんなにいっぱい持てるの?
というシンプルな感想しか思い浮かばない。
睦くんは両手合わせると十個ものジョッキやグラスを、なんてことないような顔で持っていた。
「お待たせしました」
彼が目的の席へ到達してだいぶあとに、私もようやくたどり着く。
あまりに重かったせいか、手ぶらになっても腕が震えた。
ひとつひとつお酒の内容を確認しながら渡そうとしていたら、耳元に睦くんが顔を寄せてこそっと囁く。
「こういう大所帯のときは、テーブルの端っこに全部置いておけば勝手に回してくれるよ」
「えぇ!雑…」
ぺしっと背中を叩かれて、口を閉じて言われた通りにやっておいた。