ひと雫おちたなら
カフェを出て、ひゅっと吹き込んできた寒風にちょっと怯んだけど、それよりも少し先を歩く睦くんの背中を夢中で追いかけた。
なんか、その変なゆるっとしたシルエットのカーディガンも、どうやったらそんなに裾がほつれるんだろうって思うようなデニムも、不思議と愛しく思えてしまった。
「睦くん、ありがとう」
「なにが?」
「色々と…」
私が傷ついたって思ってくれていたこと。それを、浩平に言ってくれたこと。
でも口にしたら泣けそうで、言えなかった。
年下なんだけど、まるで年上のような配慮がありがたくて、同時に案外彼は頼りがいがあるかもしれないと気づかされた。
本当は、浩平は根がいい人だってことも分かっていたし、優しい時だってあった。
それでも、彼の浮気は心が離れていくきっかけにはなったと思う。少しずつ綻び始めていた関係に、はっきりとした亀裂を生じさせるほどの。
そして、目の前にいる睦くんが、あっさり救い出してくれたことも大きい。
普段はそっけないくせに。興味なさそうにしてるくせに。
肝心なところでちゃんと言えない私と違って、彼は肝心なところであたたかい。
「さて、今日のお礼はしっかりしてもらわないとね」
ふと足を止めた睦くんが、くるりと振り向いてにこっと笑う。
「お礼ね、何がいい?なにか食べたいものある?」
「二つある」
「うん、なになに?」
もうすっかり冷え込んできた時間。
大学から駅へ向かう学生たちも、少し寒そうに身を縮ませている人たちが多い。
その波に乗りながら、私はあまり深く考えずに彼を見上げた。
「ひとつ、俺の絵のモデルになること。もうひとつは、来月のピアノリサイタルに一緒に行ってほしいこと」
「─────は?」
予想もしない、お礼の内容だった。