ひと雫おちたなら
はっとした時には、一曲目が始まっていた。
出だしは、静かで、でも力強い。
この曲、知ってる。
素人のような私でも最初に気づくほどの有名な曲。
『アヴェ・マリア』シューベルト。
……ああ、クリスマスって感じがする。
厳かな中に、優しく気高い一人の女性が浮かび上がる。
宗教には詳しくないけれど、マリア様をたたえる曲だというのは知っていたので、通して聴いてなるほどなと思った。
中盤で差し込まれる高音の旋律が美しくて、すっと心に入り込んでくるようだ。
終盤に向けて力強さは増していき、流れるようなピアニストの彼女の指さばきに遠くからでも目を奪われる。
彼女の指もまた、とてもきれいだった。
リサイタルの曲目は、クリスマスにちなんだものが多かった。
バッハの『主よ、人の望みの喜びよ』もそうだ。
どこかしらで耳にしたことのある曲は、知っている!という感動と、ただ流し聞きするだけとは違う生演奏の迫力に押される。
ドビュッシーの『夢』、『アラベスク1番』
これも、聴いたことがあった。
特に『夢』は、最初から引きずり込まれた。
本当に夢の中に入り込んだような感覚におちいる。
最初は迷って、迷って、さまよい続ける。
でも、ふわふわと浮かんだ空間の中で、優しく小さな光を見つける。
まるで自分がゲームの中の主人公になった気分で、ほの暗いダンジョンを歩き回って頂上を目指しているような。
ピアノの音にこんなに聴き入ることなんてないから、リサイタルというものはいつもと違う澄んだ音色を頭の中にクリアに流すことができる場所なのだと気づかされた。
行き詰まった時なんか、すごくいいかもしれない。
─────行き詰まった時?
ちらりと睦くんの表情をうかがう。
彼も行き詰る時はあるのかな、絵が思うように描けないとか、応募したコンテストで賞がとれないとか。
集中して聴いている睦くんがふとこちらを見たので、びっくりして心臓が跳ねた。
なに驚いてんの、とばかりに鼻で笑われて、少しばかりむっと口をとがらせた時、幾度となく聴いていたあの曲が始まった。