ひと雫おちたなら
初めて手をつないだのは、たぶんその日の夜だったと思う。
つないだというか、触れたという方が表現は正しいかもしれない。
ピアノリサイタルの感想を話したくて、でも居酒屋とかカフェみたいに騒がしいところは嫌で。
静かなところで二人で話したくて。
バイト先の居酒屋の近くに小さな公園があるから、そこにしようと決めた。
缶ビールを買って、古くて薄汚れたベンチに座って二人で缶同士を合わせる。鈍い音だけが一度だけ聞こえて、私も睦くんもぐいっとアルコールを喉へ流し込む。
「美味しいけど、……寒い」
「だからどこかに入ろうって言ったんだ」
「でもさあ、この余韻を消したくないんだもん」
コートはぴっちりボタンをとめているのにそれでも指先の冷えは消せなくて、ぎゅうっと缶を握りしめる。
よりによって冷たいビールを飲むとか、チョイスを間違えた。あったかい缶コーヒーにすればよかった。
缶に口をつける睦くんの横顔に、素敵だったねと話しかける。
「ピアノリサイタル、なんだか感動しちゃった」
脚をまっすぐに伸ばして、先で交差させていた彼は小さくうなずいた。
「なかなかよかった。いい経験になったよ」
「知ってる曲もけっこうあって、飽きなかったよね」
「ゆかりさんのことだから途中で寝たりしないか心配だったよ」
「…私ってそんなキャラ?」
そうだろうと当たり前のような目をされて、私は肩をすくめるしかできなかった。
睦くんの足もとは、普段の彼なら絶対にはかないような、でもちょっとこじゃれた明るいキャメルの革靴。
こういう服を着ると、センスを試される気がした。
彼は間違いなく、いいセンスの持ち主だと思う。
色合いが可愛いその靴を眺めたあと、ちかちかと夜空に瞬く星を探すように顔を上げる。