ひと雫おちたなら
公園の木々をさわさわとさざめかせる風に思わず豪快なくしゃみを二連発したら、あはははと反り返るほど睦くんが大笑いした。
「ゆかりさんて、オヤジっぽいよね。そのくしゃみとかそのもの」
「あーあー、それよく瑠美に言われる。そんなつもりないんだけどね。こんなんだから浮気されたのかな」
「俺は好きだよ」
「…は?なにが?」
心臓が止まるかと思った。
「ゆかりさんのくしゃみ」
目を見開いている私をきょとんとして見つめてくる睦くんに、そうだよねぇ、と慌てて笑いを返す。
あぶないあぶない、なにを期待してるんだか。
「時々いるじゃん、鼻の奥で小さくくしゃみする子。あれは絶対あざといと思ってる。そう考えるとゆかりさんは計算がないからいいなあって」
「……女子力が低いって言われてる気分」
「褒めてるよ」
褒められてる気がしないって言ってるのに、それは彼には通じなかった。
手の中にある缶ビールを揺らしながら、ピアノリサイタルのことを思い返していた。
きれいな指から弾き出されるきれいな音色。
自分が楽器を触ったのが、高校の音楽の授業以来だったからか新鮮だった。
プロの奏でる音というのは、こんなに胸の奥にすとんと響くんだと。
そういえば、と思い出した。
「私はサティなら睦くんがよく聴いてるジムノペディよりも、もうひとつの…最後に弾いてた曲の方が好きだなあ」
「ああ、ジュ・トゥ・ヴね」
睦くんはプログラムで確認するまでもなく、すぐに分かったようで曲名をすらりと答えてくれた。
なんだかんだでクラシックに詳しいんじゃないのか?と思ってしまう。私なんて、きちんとプログラムを見なければ曲名なんて浮かんでこないのだから。
「ジュ、ジュ…トゥ……、なんだか言いづらい曲名だよね。意味とかあるのかな」
「ちゃんとあるよ」
「なに?」
「“あなたがほしい”」