ひと雫おちたなら

「……退学した?」

私はもう、呆気にとられてそれ以上の言葉を発することができなかった。
ぐるぐると視界が揺れて、なにがなんだか分からない真っ暗な空間に放り込まれたような感覚になる。

隣に立っていた瑠美がいち早く私の気持ちを代弁する。

「なに?どういうこと?大学やめたのも、家庭の事情ってわけ?」

「家庭の事情っていうか…」


食堂で私たちにつかまっていたのは、睦くんとよく一緒にいるところを見かけたことのある二人の男子学生たち。彼らもまた、絵画学科で油絵を専攻しているらしい。

先輩二人のただならぬ様子に、若干の戸惑いは感じているらしかったが、一人が「俺たちもよく分からないんですけど」と話し出す。

「本人は去年の秋くらいからやめるかずっと迷ってたんです。絵を描くのは趣味の方が性に合ってるかも、って」

「家庭の事情じゃなくて?」

「家は別に…分かんないですけど、普通に円満なんじゃないのかなあ。聞いたことないです」

「……ねえ、きみたち睦くんの連絡先、知ってるよね?ちょっと聞いてもいいかな」

本人に聞いたほうが早いと思ったのか、名案を思いついたとばかりに瑠美が二人の後輩ににっこりと笑いかける。
慌ててそれを止めた。

「瑠美、それはいいよ」

「え、なんで、ちゃんと話したほうがよくない?」

「それが嫌だから何も言わずにいなくなったんだと思うんだよね」


私たちが話している中、先ほどの睦くんの友達の一人が私へと歩み寄り、探るように見つめてきた。

「田中ゆかり先輩ですよね?」

「あ、うん、そう。田中です」

「これ、睦から預かってるので、あとで読んでください」

手紙とはまた違うような、小さく折りたたんだメモ紙。
ここですぐに開いて読みたいのを我慢して、ありがとうとお礼を告げた。

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