ひと雫おちたなら
滞りなく打ち合わせが終わり、いくつかの作り直しや訂正などをチェックし、スケジュールも立てられた。
サイトの不具合も少し見つけたので、それは会社に戻り次第すぐに直すことにした。
今から会社に戻るとしても、今日は残業になりそう。
残業は慣れているから構わないが、ちょっと色々と衝撃を受けすぎて頭の整理が追いつかない状態だ。
この状態で仕事をしても効率が悪そう…。
エレベーターで一階に降り立った私は、ガラス張りのロビーをくるりと見渡す。
開放的で、すっきりとした白を基調にしたインテリアが並んでいてきれい。掃除も行き届いている。
こういうところに勤めていると、社員さんも余裕があって仕事がしやすい。
……ただ気になるのは、どうしてここで睦くんが働いているのかということなのだが。
ロビーの真ん中で立ち止まった私は、後ろを振り返った。
「あの、ここまでで大丈夫です。ありがとうございました」
帰る私をわざわざ見送りに出てきてくれた睦くんに、お礼を伝える。彼は首を振った。
「こちらこそ、ありがとうございました。これからよろしくお願いします」
「これから、ずっと担当になるんですか?」
「なにかご不満でも?」
不満というわけではありませんが。
色々と聞きたいことが山のように積もっているわけで、そのあたりくみ取っていただけませんか?
じろっと睨んだ私の目に気づいた睦くんが、困ったように苦笑いを浮かべた。
「さっき渡した名刺の裏に、連絡先を書き込んでおきました」
思わぬ言葉に、えっ!と驚いて目を丸くする。
どこにしまったっけ、名刺ファイルに綴じこんだかな、とバッグの中をまさぐっていたら、ふっと視界が暗くなった。
私の顔のすぐ横に睦くんの顔。
こそっと耳打ちされる。
「この再会、偶然だと思ってる?」
反射的に耳打ちされたほうの耳に手を当てて身を引いたものの、かっと顔が熱くなるのはおさえられなかった。
「偶然じゃなかったら、なんなの?」
「…連絡、待ってる」
彼は別に、私を困らせて楽しもうっていうような感じでもなかった。
最後の言葉も、それなりに真剣な響きがあって。
なにか話したいことがあるんだってことは伝わってきた。
八年前に突然大学をやめてしまったことを責める気はもちろんなかったし、掘り起こすつもりはなかった。
ただ、ひたすら気にはなっていた。
「じゃあ、また」
連絡するか、しないかは私任せってことね。
小さくうなずいて、当たり障りのない別れの挨拶をして彼の会社をあとにした。