死にたい君に夏の春を
僕は走る。
こんなにも急ぐ必要は無いのに。
ビルにまで着くと、一気に階段を駆け上がる。
早く、彼女に知らせなければ。
その前に、ちゃんと謝らなければ。
3階に着き、部屋に入る。
九条は机に突っ伏していて、顔が見えない。
「……九条」
ゆっくりと近づいて、声をかける。
すると彼女は顔を上げた。
「おかえり」
冷静に無表情で、そう言った。
まるで何事も無かったように。
「ごめん……」
真っ先に、僕は謝った。
言い訳も、何も言いたくない。
「違う」
違う……?
「やっぱり、お父さんじゃない」
「……うん」
「お父さんは、こんなに優しい顔しないもん」
一気に、肩の重荷が下りる。
「九条……ごめん、本当に」
「いいよ。ちょっとびっくりしただけだから」
許されたのか、気を使ったのか、わからない。
僕は彼女の考えていることがわからない。
でも、救われた気がする。
「私も、気に障ったこと言っちゃったかな」
「いや、僕が悪いんだ。母親のことは九条に何も関係ないのに、勝手にイラついただけだから」
「お母さんと、何かあったの?」
僕は無言になる。
ずっと抱え込んでいた僕だけの事情。
それを九条に言ってしまっていいのだろうか。
本当はこれを吐き出したい。
全て吐き出して、楽になりたい。
でも、さっきみたいにまた爆発してしまったらと考えるととても怖い。
「……なにも」
そうやってわかりやすい嘘をついた。