死にたい君に夏の春を
そこには、頭から血を流し瞼を閉じた九条と、その少女に股がった見知らぬ男の姿があっただけだった。


「あ……あぁ……」


手から財布が落ちたことにも気づかずに、ただその光景を見ることしか出来ない。


僕の存在に気づいた男は、こちらをゆっくりと振り返った。


「あ?誰だお前」


男は低い声で、そう僕に言った。


ただ僕は頭が真っ白になって、何も考えられなくなって、目をつむった彼女しか目に入らない。


そして僕は。


「……離れろよ」


「は?」


「栞から離れろって言ってんだよ!!」


気付けば手に拳を作り、殴りかかっていた。


だか男はすぐに少女から離れ、僕の拳を避ける。


空振りしたことで体勢がよろけるが、なんとか立て直す。


男の顔は赤くなり、血管が浮き出てきた。


立ち上がった男は思ったよりも大柄で、とても自分じゃ太刀打ちできないと悟る。


「おい、なんだお前。いきなり殴りかかるとか……死にてぇのか?」


黒いジーンズから小さなナイフを取り出し、僕に向かって振り下ろした。


それを避けきれず、右腕に刃が当たる。


「うっ……!」


今まで感じたことの無い激痛が走り、目を閉じてしまう。


その隙に、男に腹を蹴られ転倒する。


「お前、さっきの道で栞と走ってたけど、どういう関係なんだ?お前がこいつをたぶらかしたのか?」


男はどんどん近づいて来るが、転んだ衝撃で捻挫した足が痛んで思うように逃げられない。


力を振り絞り後ずさりしていると、ふと左手に冷たくて硬い感触があった。


「おい、答えろよ」


これしか、ない。


その物に望みを託して、僕はそれを掴んで男にむける。
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