地味子のセカンドラブ―私だって幸せになりたい!
9.突然、交際を申し込まれた!
金曜日、仕事を終えて帰宅の準備をしている岸辺さんに私は小さな声で耳うちする。

「岸辺さん、ご都合がよかったら土曜日の夕方、お礼に食事にご招待したいのですが」

「いいね。招待をうけるよ。割り勘でね。場所は?」

「自宅で作りますから、お好みを言ってください。和食でも、中華でも、洋食でもいいですから」

「ええ・・・、横山さんのアパートで! 何でもいいの? じゃあ和食が食べたい」

「じゃあ、和食を準備します。6時にお待ちします」

岸辺さんは私の招待を受け入れてくれた。どんな気持ちで受け入れてくれたかは分からないけど、私は岸辺さんとご飯を食べながらゆっくりお話がしたかった。

6時丁度に岸辺さんはドアをノックした。仕事で訪問するときと同じ、おそらくアパートの前で時間を調整していたはず。岸辺さんらしい。

「こんばんは、お言葉に甘えてご馳走になります。これは白ワインとケーキ」

「ありがとうございます。どうぞお入りください」

すでに料理はほとんど出来上がっていて、座卓に並べてある。

本格的な和食のフルコースで、先付、吸物、刺身、焼物、酢の物、炊合、蒸し物、揚げ物、ご飯・味噌汁、果物をそれぞれ二人前作った。

「日本酒も用意しました。冷ですか? お燗しますか?」

「冷でお願いします」
「分かりました」

「作るのに随分時間がかかったんじゃないかな。品数が多いね」

「3時ごろから作りはじめました」

「食器もちゃんと二組あるんだね、僕は一組もないけど」

「女の子は大抵二組揃えていると思います。お友達を呼んだりしますから。私は母親ですけど」

「いただきます」
「お酒もどうぞ」

「どうして招待してくれたの?」

「この間の看病のお礼です。泊まってまでいただいたので、それと昇給してもらったお礼です」

「僕の看病に来てくれて食事を作ってお弁当まで作ってくれたのでお相子、それに昇給は実力、頼んだのは僕だけど室長が認めたからだよ」

「でもどうしてもお礼がしたくて。あの時はありあわせの材料でうまくできなかったので」

「でもとてもおいしかったよ」

「今日の料理はどうですか」

「それ以上においしいね、久しぶりだ、こんなにうまい和食は。料亭へ行ったみたいだ。わざわざありがとう。奥さんにする人は幸せだな」

「それならいいんですけど」

献立は、鯛とヒラメの刺身、ブリの照り焼き、カボチャの煮物、タコの酢の物、海老とキスと野菜のてんぷら、茶碗蒸し、炊き込みご飯。

岸辺さんはお酒と白ワインを飲みながら残さずに食べてくれた。私もお酒を飲んで少し酔ったみたいでたくさんおしゃべりをした。

食べ終わると、すぐに後片付けをして、デザートに買ってきてもらったケーキを食べる準備をする。

二人でケーキを食べていると、岸辺さんは腕時計を外した私の左手首に自然と目が行ったみたい。

いつもならサポーターをして傷の痕を隠しているけど、今日は料理をするためにサポーターをしていなかったことを忘れていた。

右手で隠そうとしたら、岸辺さんも目をそらせた。

「手の傷、目立ちますか?」

「いつもは腕時計をしているので分からないけど、目に着くね」

「自分で切った痕です」

「自殺でもしようとした?」

「3年ほど前ですが、付き合っていた人が別れようと言うので、悲しくなって」

「切り傷が大きいから大量に出血したんじゃない」

「発見されたときは血の海だったそうです。母が偶然、訪ねて来て見つけてくれて、救急車を呼んで病院に運ばれました。もう少し遅かったら助からなかったと言われました」

「お母さんは随分驚かれただろう」

「気が付くと母がいて、勝手に死んだらダメ、私が一生懸命に育てたんだからと、きつく叱られました」

「そのとおりだよ、一生懸命に育てた娘が自分より早く死んだら悲しすぎる、それも自殺ならなおさらだ」

「母には本当に心配をかけました。その時、これから何があっても自分で命を絶たないことを心にきめました」

「でも本当に辛かったんだ」

「私は好かれていると信じて、身も心も尽くしてきました。それで好きな人ができたから別れてくれと言われて、悲しくて、悲しくて、死にたいと思いました」

「僕も彼女に別れてくれと言ったことは、今でも悔いている」

「でも岸辺さんは好きな人ができたからではないでしょう」

「そうだけど、彼女の信頼を裏切ったのは同じだ」

「その後、彼女はどうしました?」

「風の便りでは、ほどなく新しい彼氏を見つけて、1年後に結婚したと聞いた。だから、ほっとしている」

「岸辺さんはやっぱり優しいです。私の元彼とは違います」

「男って皆同じだよ」

「病院のベッドで考えました。一度死んだのだからこれからは余生だと、それならもっと気楽に生きようと思いました」

「生き方が変わったの?」

「私、それからは何事にも期待することがなくなりました。あきらめたと言ってもいいのかもしれません。あきらめていると楽ですから」

「そうだね、あきらめていると、期待しないし、何か少しでもいいことがあると、とっても得した気分になれるね」

「岸辺さんと私は考え方が似ているかもしれません」

「そうかな」

岸辺さんはしばらく黙り込んでいた。

「唐突だけど、横山さん、僕と付き合ってくれないか? 上司としての僕ではなく、普通の男として」

「ええ・・・」

「迷惑だったかな、ごめん、今の話、なかったことにしてくれ」

「いえ、決していやじゃないんです。想定外で驚きました」

「立場を利用しているようで申し訳ない。素直な気持ちで付き合ってみたいと思っただけだから」

「そう言っていただいて嬉しいのですが、どうお付き合いして良いのか、気持ちの整理がつきません。しばらく返事を待っていただけますか?」

「分かった。返事は時間が掛かっても構わないから、考えてみてほしい。迷惑だったら、なかったことにしてくれればいいから」

「勝手言って申し訳ありません」

「じゃあ、これで帰ります。ご馳走様、ありがとう」

岸辺さんは急いでアパートを出ていった。正直、岸辺さんに交際してくれと言われて嬉しかった。岸辺さんに好かれたいと思う気持ちがあったから食事に招待したのだから。

でも、手首の傷がピリピリ痛んだ。

ブログにはこう書き込んだ。

〖カッコいい上司をお家に招待して夕食を作ってご馳走した。左手首の傷跡の話をしたら、交際を申し込まれた。どうしよう!〗

コメント欄
[受けたいんでしょ。もっと自分に正直になれば]
[よくよく考えた方がいい。男は気まぐれだから。後悔先に立たず。だめになったら今の会社やめることになるけどいいの]
[もともとあきらめていたんでしょ。だめもとで受けてみてはどうなの]
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