地味子のセカンドラブ―私だって幸せになりたい!
17.二人で私の母夫婦に挨拶に行った!
【9月4日(日)】6時に目が覚めた。潤さんも同じころに目が覚めたみたいで、寝がえりをうって向きを変えると目が合った。
「おはよう」といって、抱きしめてくれる。私も抱きついて、また愛し合う。
次に目が覚めたら、もう8時になっていた。そうだ、結婚式場の打合せが10時からだった! 二人同時に気が付いて飛び起きた。
10時に原宿にある結婚式場に到着。当日は4時から結婚式と写真撮影のみ。式場を下見して、衣装合わせをする。
私はカタログで衣装を選んでから別室で試着して寸歩合わせ。呼ばれた潤さんが見に来てくれて、とてもきれいで可愛いと言ってくれた。これで一安心。
潤さんもやはりカタログでグレーのスーツを選んで試着していた。今度は私が見に行ってOKのサインを出す。
それから近くのレストランへ行って5名での会食のための個室と料理を予約して打合せは終了。
お昼になっていたので、近くのハンバーガーショップでハンバーガーを食べて、すぐにそれぞれの家へ帰宅。私の母夫婦の家の訪問時間は6時なので5時40分に梶ヶ谷駅の改札口で待ち合わせることにした。
丁度約束の時間に駅についた。潤さんはもう改札口で待っていた。駅前の店で手土産のケーキを買う。駅から5分ぐらいのところにマンションがある。
築年が古いので、入口に管理人室があるだけで、セキュリティーのための自動扉などない。エレベーターで4階に上がる。405号室のドアをノック。母が中に案内してくれる。かなり広い3LDK。
リビングに案内されると義理の父の野上さんが待っていた。
「ようこそ、美沙さんの母親の夫の野上義和です」
「始めまして、岸辺潤です。今日はご挨拶にお伺いしました。また、お食事にご招待いただき、ありがとうございます」
野上さんはいつも落ち着いていて穏やかな人。テーブルの上には母の作った料理が並べられていた。席につくとすぐに野上さんが潤さんにビールを注いでくれる。
「今日の午前中に結婚式場に行って打合せてきました。式の日時は美沙さんからお聞になっていると思いますが、9月18日(日)の午後4時からです。3時に会場へお越し願います。5時30分から式に出席してくれる私の上司の竹本企画開発室長とお二人と私たち二人の5人での会食を予約してきました。よろしくお願いします」
「美沙さんの結婚式に出席させていただきありがたいです。まあ、食事をしながら、私から家内親子との係わりについての話しを聞いて下さい」と言って話し始めた。
野上さんは小さな建設会社を経営していて今は長男に社長を譲って引退して会長になっている。45歳の時に奥さんを病気で亡くした。
その時17歳の男の子と15歳の女の子がいたが、当時契約していた大工の父との関係で、二人の世話を母が引き受けることになった。
当時、私たち親子はすぐ近くに住んでいて、母は30歳で私は8歳だった。それから8年間、長男が大学院を卒業し、長女が大学を卒業するまで、母は私を育てながら、野上家の家事を引き受けていた。
子供たちが独立して家を出てからも、野上さんの食事の世話などをしていた。そして、8年前に父が事故で亡くなった。
野上さんは、残された私たち母子に、今までの恩返しと事故のお詫びにできるだけのことをすると言って、母に会社の事務の仕事をさせてくれたり、二人を会社の寮にも住まわせてくれた。
そして3年前に引退する時に、お子さんたちとも相談して、母に結婚を申し込んだ。その時、私も一緒に3人で住もうといってくれたけど、私は遠慮して一人暮らしを始めた。
私が自殺未遂をしたときには、無理にでも一緒に住んでいればと後悔したという。こうして私が岸辺さんと結婚することになってこんなに嬉しいことはないと言った。
それから、母と結婚するときに、自分と15歳も年が離れているので、死んだ後に困らないように、母に、このマンションを譲るとの遺言状も書いてくれた。
お子さんたちにはそれぞれの住まいを与えてあるので、二人とも承知しているとのことだった。
この前も長女に初孫が生まれたときにも母が孫と長女の世話してくれて長女がとても感謝していたそうだ。丁度私が風邪をひいて寝込んでいた時だった。
野上さんの話を聞いて潤さんは安心したみたいだった。潤さんは帰り道で「やはり小さな建築会社でも社長を務めていただけのことはある。人の気持ちが分かり、心遣いができる人だったので、安心した。お母さん夫婦を訪問してよかった」また「美沙ちゃんはあのお母さんの性格を引き継いでいることがよく分かった。道理で料理もおいしい訳だ」と言っていた。
【9月5日(月)】朝、室長が9時少し前に席に着くと岸辺さんはすぐに話に行った。そして二人で会議室へ入って行った。
岸辺さんは、転勤が決まったので、関西に一所に来てもらおうと、急遽私にプロポーズして婚約したこと、9月18日(日)4時から結婚式を挙げることになったので、結婚式に出席していただきたいこと、私を9月末で退職させるので、私から派遣会社を通じて会社に届け出させること、二人の結婚のことは当面内密にしておいていただくこと、結婚の発表は送別会の時にすることなどを話したという。
室長は結婚式の出席を受けてくれたとのこと、また、自分の社内結婚の経験からひょっとすると二人は付き合っているのではないかと思っていたとのこと。岸辺さんがいつまでも独身でいるので心配していたが、良かったと喜んでくれたそうだ。
そして、仕事はよくできていい子だけど、ブランド好きの岸辺君が地味な横山さんとよく結婚する気になったねと言っていたとか。でもそれはチョット言い過ぎだと思う。
それに尻に敷かれないように注意されたと、潤さんは笑いながら言っていた。私が岸辺さんを尻に敷くなんてありえない。
「おはよう」といって、抱きしめてくれる。私も抱きついて、また愛し合う。
次に目が覚めたら、もう8時になっていた。そうだ、結婚式場の打合せが10時からだった! 二人同時に気が付いて飛び起きた。
10時に原宿にある結婚式場に到着。当日は4時から結婚式と写真撮影のみ。式場を下見して、衣装合わせをする。
私はカタログで衣装を選んでから別室で試着して寸歩合わせ。呼ばれた潤さんが見に来てくれて、とてもきれいで可愛いと言ってくれた。これで一安心。
潤さんもやはりカタログでグレーのスーツを選んで試着していた。今度は私が見に行ってOKのサインを出す。
それから近くのレストランへ行って5名での会食のための個室と料理を予約して打合せは終了。
お昼になっていたので、近くのハンバーガーショップでハンバーガーを食べて、すぐにそれぞれの家へ帰宅。私の母夫婦の家の訪問時間は6時なので5時40分に梶ヶ谷駅の改札口で待ち合わせることにした。
丁度約束の時間に駅についた。潤さんはもう改札口で待っていた。駅前の店で手土産のケーキを買う。駅から5分ぐらいのところにマンションがある。
築年が古いので、入口に管理人室があるだけで、セキュリティーのための自動扉などない。エレベーターで4階に上がる。405号室のドアをノック。母が中に案内してくれる。かなり広い3LDK。
リビングに案内されると義理の父の野上さんが待っていた。
「ようこそ、美沙さんの母親の夫の野上義和です」
「始めまして、岸辺潤です。今日はご挨拶にお伺いしました。また、お食事にご招待いただき、ありがとうございます」
野上さんはいつも落ち着いていて穏やかな人。テーブルの上には母の作った料理が並べられていた。席につくとすぐに野上さんが潤さんにビールを注いでくれる。
「今日の午前中に結婚式場に行って打合せてきました。式の日時は美沙さんからお聞になっていると思いますが、9月18日(日)の午後4時からです。3時に会場へお越し願います。5時30分から式に出席してくれる私の上司の竹本企画開発室長とお二人と私たち二人の5人での会食を予約してきました。よろしくお願いします」
「美沙さんの結婚式に出席させていただきありがたいです。まあ、食事をしながら、私から家内親子との係わりについての話しを聞いて下さい」と言って話し始めた。
野上さんは小さな建設会社を経営していて今は長男に社長を譲って引退して会長になっている。45歳の時に奥さんを病気で亡くした。
その時17歳の男の子と15歳の女の子がいたが、当時契約していた大工の父との関係で、二人の世話を母が引き受けることになった。
当時、私たち親子はすぐ近くに住んでいて、母は30歳で私は8歳だった。それから8年間、長男が大学院を卒業し、長女が大学を卒業するまで、母は私を育てながら、野上家の家事を引き受けていた。
子供たちが独立して家を出てからも、野上さんの食事の世話などをしていた。そして、8年前に父が事故で亡くなった。
野上さんは、残された私たち母子に、今までの恩返しと事故のお詫びにできるだけのことをすると言って、母に会社の事務の仕事をさせてくれたり、二人を会社の寮にも住まわせてくれた。
そして3年前に引退する時に、お子さんたちとも相談して、母に結婚を申し込んだ。その時、私も一緒に3人で住もうといってくれたけど、私は遠慮して一人暮らしを始めた。
私が自殺未遂をしたときには、無理にでも一緒に住んでいればと後悔したという。こうして私が岸辺さんと結婚することになってこんなに嬉しいことはないと言った。
それから、母と結婚するときに、自分と15歳も年が離れているので、死んだ後に困らないように、母に、このマンションを譲るとの遺言状も書いてくれた。
お子さんたちにはそれぞれの住まいを与えてあるので、二人とも承知しているとのことだった。
この前も長女に初孫が生まれたときにも母が孫と長女の世話してくれて長女がとても感謝していたそうだ。丁度私が風邪をひいて寝込んでいた時だった。
野上さんの話を聞いて潤さんは安心したみたいだった。潤さんは帰り道で「やはり小さな建築会社でも社長を務めていただけのことはある。人の気持ちが分かり、心遣いができる人だったので、安心した。お母さん夫婦を訪問してよかった」また「美沙ちゃんはあのお母さんの性格を引き継いでいることがよく分かった。道理で料理もおいしい訳だ」と言っていた。
【9月5日(月)】朝、室長が9時少し前に席に着くと岸辺さんはすぐに話に行った。そして二人で会議室へ入って行った。
岸辺さんは、転勤が決まったので、関西に一所に来てもらおうと、急遽私にプロポーズして婚約したこと、9月18日(日)4時から結婚式を挙げることになったので、結婚式に出席していただきたいこと、私を9月末で退職させるので、私から派遣会社を通じて会社に届け出させること、二人の結婚のことは当面内密にしておいていただくこと、結婚の発表は送別会の時にすることなどを話したという。
室長は結婚式の出席を受けてくれたとのこと、また、自分の社内結婚の経験からひょっとすると二人は付き合っているのではないかと思っていたとのこと。岸辺さんがいつまでも独身でいるので心配していたが、良かったと喜んでくれたそうだ。
そして、仕事はよくできていい子だけど、ブランド好きの岸辺君が地味な横山さんとよく結婚する気になったねと言っていたとか。でもそれはチョット言い過ぎだと思う。
それに尻に敷かれないように注意されたと、潤さんは笑いながら言っていた。私が岸辺さんを尻に敷くなんてありえない。