大江戸シンデレラ

先達(せんだっ)ては、兵馬の武家言葉と気迫に押されて、つい首を縦に下ろしてしまった舞ひつるであったが……

すっかり頭の冷えた今となっては、兵馬が玉ノ緒とも「逢瀬」をしていたことが、やはり気にかかる。

あの日、明石稲荷の鳥居で目にした二人の姿と、小堂の壁を通して耳にした二人の声が……

すでに玉ノ緒が淡路屋に身請けされて去って行ったにもかかわらず、どうしても舞ひつるの頭から離れないのだ。

やんごとなき御堂の境内で、卑しくも盗み聞きのごとき真似をした神罰が下ったのであろうが、今さら悔いたとて……もう遅い。

舞ひつるにとって「橋姫」よりも舞い(ごた)えのある「お三輪」の役なら、喜んで舞う。

されども、相思の仲に割り入った末に我が身一人が割りを喰う役回りを演ずるのだけは、御免(こうむ)りたい。

すると、(おの)ずとまた明石稲荷から……兵馬から足が遠のいていた。

二度と逢えなくなる日は、刻々と近づいているというのに。


——さて、どうしなんしたものか……

舞ひつるに、すっかり迷いが生じていた。

「お稽古がありんすが、俄は葉月(八月)なんしゆえ、まだ間がありんす。
その前に……まずは此度(こたび)の『川開き』なんし」

禿たちに向かってというより、おのれ自身につぶやいた。


落籍()かれることが決まってからも、舞ひつるは相も変わらず——いや、今までにも増して稽古にそして御座敷にと励んでいた。

まさか、もうすぐ何処(いずこ)かに出されるであろう身などとは、客はもちろん見世で働く者も——だれが思うだろうか。

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