大江戸シンデレラ
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やはり、大川の川開きのその日は、てんてこ舞いの忙しさであった。

この日ばかりは、日頃お高くとまった遊女ですら昼見世に駆り出されるため、猫の手も借りたいくらいの大賑わいだ。

とは云え、女郎相手の一階(した)の廻り部屋ならいざ知らず、昼日中から(ねや)を求むような無粋な客は二階(うえ)にはおらぬゆえ、御座敷からは鳴り物の音が絶え間なく聞こえてくる。


安芸国・広島新田藩の三代藩主が久方ぶりに登楼していた。羽衣の想い人である。

あないに連日連夜、加持祈祷を(おこな)ったにもかかわらず、奥方が懐妊された御子は、この世に御目見えすることなく(はかな)くなってしまわれたそうだ。

「先般、公方様も御子を亡くされた。
三代の公方様(徳川家光)以来の御台様(正妻)との御子でござったゆえ、御心痛は如何(いか)ばかりか、察するに余りある。
よって、わしなぞに気遣いは無用にてござる。
そもそも『次』は先代の御子に譲る定めだ。
我が血の繋がる男子(おのこ)なぞ、我が身は元より望んではおらぬ」

浅野(あさの) 近江守(おうみのかみ)はかように云い置き、左手で取った盃の御酒(ごしゅ)を口に含んだ。


その後、舞ひつるは水を得た(うお)のごとく舞を披露した。

特に、姉女郎の羽衣と二人で舞った「汐汲(しおくみ)」がすばらしく、大いに近江守を喜ばせた。

平安の世、時の帝の逆鱗に触れたため、須磨へ流された「在原行平」とその地で出逢い、()でられた姉妹「松風」と「村雨」の舞である。

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