大江戸シンデレラ
◆◇ 五段目 ◇◆

◇敵の陣屋の場◇


しばらくして、駕籠舁(かごか)きの脚が止まった。

垂れていた(むしろ)(めく)られ、舞ひつるの目に宵闇の漆黒が入ってくる。

年嵩(としかさ)の方の駕籠舁きから「(ねえ)さん、降りてくんな」と促され、駕籠から出た。

ゆっくりと立ち上がったが、身体(からだ)はまだ揺れているままの感覚らしく、くらりと目眩(めまい)がする。
すかさず、若い方の駕籠舁きが支えてくれた。

目の前で、柳の木の枝が(ぬる)い夜風に乗ってゆらゆらと揺れているのが見える。
吉原の客が(おんな)を名残惜しげに振り返る「見返り柳」だった。

その名のとおり振り返ると、吉原の(くるわ)周囲(ぐるり)を流れるお歯黒どぶの跳ね橋が、ゆっくりと上がっていく(ところ)であった。唯一の出入り口だ。

どうやら、手を回したのであろう。
舞ひつるの乗った駕籠が通り過ぎるまで、跳ね橋を閉じずにいたらしい。
久喜萬字屋のお内儀(かみ)がやけに急いでいた理由(わけ)はそこにもあったようだ。

舞ひつるはいつの間にか、朱色に彩られた二本の柱に黒い屋根を乗せた鏑木(かぶらぎ)門の大門(おおもん)からも、すでに出ていた。

もう二度と……あの門を(くぐ)って「向こう側」へ行くことはない。

その刹那、舞ひつるは、ぶるり、と震えた。

今になって足元からぞわぞわと「怖気(おじけ)」が出てきたのだ。

ほかの者がなんと云おうとも、吉原(そこ)は舞ひつるにとって「故郷(ふるさと)」であった。

たとえ四方を汚水の流れるどぶ(・・)に囲まれた「苦界」であろうとも、舞ひつるは生まれてこの方、その地しか知らない。


——わっちは……本当に……
吉原(さと)を出て行っても、やっていけなんしかえ……

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