大江戸シンデレラ

だが、突如父親が卒中で呆気なくこの世を去ったため、さようなことは云うておれなくなった。

正式に家督を継いだ兄に負担をかけぬことは、即ち「上條」の御家(おいえ)を守ることであった。


尚之介の心に、年端も行かぬ少年の頃より見続けてきた、朋輩(ほうはい)の妹の顔がよぎった。

与力の娘だった。もう手が届かなくなる。

他家へ養子として出るにあたって有利となるよう——その家の娘婿として入るのではなく、子のない家の嗣子(しし)(跡取り)として入れるように——剣術の稽古にも学問の修養にもできる限りの力を注いできた。

ゆえに、町の剣術道場や手習所を飛び越えて、御公儀(江戸幕府)が旗本・御家人の子弟のために設けた其々(それぞれ)の場に呼ばれるほどになっていた。

——何のために、これまで必死の思いで剣にも学にも精進して参ったのか。


されども、武家に生まれた者にとって「御家を守る」ことは、骨の髄まで染み込んでいた。

尚之介はとうとう首を縦に振った。


そして……

「北町奉行所 隠密廻(おんみつまわ)り同心 島村 尚之介」になった。

時を経ずして、朋輩の妹は同じ与力の御家に()していった。

今では子にも恵まれて、恙無(つつがな)く過ごしていると云う。

その姿を見届けたあと、我が身もまた御家の云いなりに同心の娘を娶った。

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