大江戸シンデレラ

おてふは「吉原で百年に一人」と云われた「呼出」である母親からはその類い稀なる美貌を、勉学に秀でた「旗本」の父親からはその学才を、見事に受け継いでいた。

廓で生まれたおなご(・・・)は同じ吉原の中にある「子ども屋」に預けられるのだが、母親に会えるのは客を取っていない昼間だけである。

だが、おてふの母・胡蝶は、娘が生まれてすぐに産後の肥立ち()しくこの世を去っていた。


されども、おてふにはやるべきことが山ほどあった。

行く末には母と同じ呼出になれるよう、物心ついた頃より、歌舞音曲に和漢の書に手習いにと求められ、休む間もなく厳しく躾けられたからだ。


ゆえに、十歳(とお)になって久喜萬字屋に戻されたおてふ(・・・)は、まるで見世の主人とお内儀(かみ)の実の娘のように扱われ、禿(かむろ)として客前に出されることなく大切にされていた。

これを「引っ込み禿」といい、振袖新造よりもさらに格上であった。


そして、おてふが母の名を受け継いで「胡蝶」となり初めて客を取った「突き出し」の際には、いきなり昼三として見世に出た。

祝儀の分も含めて大枚(はた)いて不老不死の「縁起物」である「初物」を散らせたのは、さる藩の大名であった。

その後、胡蝶は瞬く間に母をも(しの)ぐ吉原きっての呼出になったのだった。

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