大江戸シンデレラ
後ろ髪を引かれつつも、胡蝶を残して明石稲荷の小堂を後にした尚之介もまた、伊勢物語の同じ二十三段を思い起こしていた。
ただ尚之介が思いを馳せ、ふと口の端に乗せたのは、
「『筒井つの 井筒にかけし まろがたけ 過ぎにけらしな 妹見ざるまに 』」
〈(幼い頃)筒のように丸く掘った井戸端で、井戸の囲いと背比べをした私の背は、もうその囲いの高さを越してしまったようだよ。あなたの姿を見ないでいる間に 〉
と云う、あの二人がまだ夫婦になる前の、男が「是っ非ともこの女を我が妻に」と願っていた時分に詠んだ歌であった。
されども、尚之介の心に浮かんでいるのは、つい今しがた別れた胡蝶の姿ではなく、我が身がまだ少年だった頃に想いを寄せていた「朋輩の妹」であった。
——かの話のごとく、幼き頃よりあないに恋焦がれて『是っ非ともこの女を我が妻に』と求めていたというのに……
胡蝶——おてふに巡り合って、身も心も通じて一つに重なり合った今……
その「幼き想い」が不思議と、
とても……「懐かしく」感じるのだ。
子を産み母となった朋輩の妹には、知らず識らずのうちに、どうかこれからも恙無く仕合わせに暮らしていってほしい、と願うばかりとなった。
思えば……
『妹』とは古の昔、恋しく思う女を指した言葉であったが、今の我が身にとってはさようなことよりも、まるで血を分けた「妹」に対して思うがごときに様変わりしていた。
いや、もしかすると……
——そもそも、我が「想い」は初めから、
そないな心持ちであったのかも知れぬ……