大江戸シンデレラ

されども、そのあと朝餉(あさげ)を終えた美鶴に、
「御新造さん、身体(からだ)が辛ければ遠慮のう横んなって(やす)んでくだせぇ」
と、おせいはしつこく促してきた。

ひりひりとしていて胎内(なか)の痛みもすでに薄れていた美鶴は、それを制して縫い物でもすることにした。

勝手存ぜぬ他家へ、いきなり嫁いできたのだ。
このままでは、昼日中(ひるひなか)は手持ち無沙汰に暇を持て余すことになるであろう。

いくら四季折々に手入れされた草木が見事な中庭を部屋の中から見渡せたとて、日がな一日ぼんやりと見てばかりいるわけにはいくまい。

島村の家で針仕事を覚えておいて良うござんした、と美鶴はしみじみ思った。

どれだけの唄や舞の上手であろうとも、武家では無用の長物以外の何物でもなかったからだ。


早速、おせいに布地と針道具を所望する。

すると、おせいはすぐさま志鶴の許しを得て、木綿の反物と針箱を抱えて戻ってきた。

——身に(まと)ってもらえるかは(わか)らぬが、若さまの浴衣でも縫ってみてござろうか。

木綿の生地を手にして、美鶴は思った。


この先、兵馬とは如何(いか)ように相対(あいたい)するべきか、皆目見当もつかなかった。

だが、如何なる神仏の(おぼ)し召しかは存ぜぬが、二人は夫婦(めおと)になったのだ。

しかも、武家同士の婚姻である。

初夜はあないなことになってしまい、兵馬からは寝屋への立ち入りを禁じられてしまった美鶴ではあるが、いずれ必ずやこの松波家の次代を担う後継ぎを産まねばならぬ身の上には変わりない。

ましてや、吉原の(くるわ)が「生家(さと)」の美鶴には、離縁して帰る家はない。

さらに、これからこの先、南町の組屋敷界隈の者たちはもちろん家人のだれに対しても、さような「出自」を絶対に知られぬことなく生きてゆかねばならぬのだ。

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