大江戸シンデレラ
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「わ、若さま……」

まだ夜も明けやらぬうちに兵馬に呼ばれたおせい(・・・)は、言葉を失った。

初夜を迎えた真っ白な羽二重の夜具には、花嫁の破瓜(はか)(あかし)である鮮血がべっとりと付いていた。


奉行所の中でも兵馬たち「町方役人」は、町家を泥臭く駆けずり回るお役目だ。

よって、血気盛んな者たちの刃傷沙汰はよくあることで、その生き死にも関わる。

(おびただ)しい血を見るのは日常茶飯事であった。

ゆえに、同じ奉行所で日がな文机(ふづくえ)に座っている「綺麗(きれ)ぇ」な御役目の役人たちからは、陰で「不浄役人」と呼ばれて蔑まれているくらいだ。

——案ずるな。かような血など、見慣れておるはずではないか……

兵馬は夜具から目を逸らし、己自身に云い聞かせた。


「おせい、なにをつっ立っておる。(はよ)う始末をせぬか」

ともすると、「夫」から手荒に扱われながらも身を固くしてひたすら耐えていた「妻」の姿が甦ってくるような心持ちがして、兵馬は思わず声を荒げた。

とたんに、おせいの顔が強張(こわば)って、みるみるうちにその目に怒りの色が浮かんできた。

おせいは、兵馬が生まれたときから身の回りの世話をしてきただけでなく、母親の嫁入り前から()の松波家に仕え、家中(かちゅう)の者から頼りにされている奉公人だ。


——まずい。母上に告げ口されでもすれば、厄介でござるな。

我が母の、まるで天女が下賤なこの世の者に放つかのごとき神々しさでありながら、滅法界もなく恐ろしき気配を漂わすその(かんばせ)が、兵馬の脳裏を()ぎった。

「筆頭与力」の父ですら、恐れ(おのの)いているのだ。

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