大江戸シンデレラ

やがて朝になり、兵馬は参ってきたいつもの髪結いの男に本多(まげ)を整えてもらうと、家人の者たちに顔を合わせることなく、早々と出仕した。

向かった先は、御役目を解かれて以来久方(ひさかた)ぶりの「吉原」であった。


隅田川(大川)を経て山谷堀を通ってきた猪牙舟(ちょきぶね)から、兵馬はひらり、と見返り柳の岸辺に降り立った。

姿勢を正して大小の刀をしっかりと手挟むと、お歯黒どぶの流れる跳ね橋を渡り、吉原唯一の出入り口・大門を(くぐ)り抜ける。

そして、左手に見える御公儀が陣取る面番所の前に立ち、勝手知ったる(さま)にて油障子をがらり、と開けた。


「……あれっ、松波の若さまでやんすか。
吉原(うち)での御用は終わって、娑婆に戻りなすったんでねぇんすかい。一体(いってぇ)どうなすったんでぇ」

くたくたに着古した木綿の着物を尻っ端折(ぱしょ)りに(から)げた岡っ引き・伊作が、糸のように細いはずの目を押し広げて尋ねてきた。

「おめぇさんらも暇じゃねえとは思うがよ。
ちょいと、頼まれてほしいことがあるのよ」

町家の者相手には、砕けた物云いにした方が話が早い。

「へぇ、若さまがあっしらみてぇなもんに頼み事たぁ、珍しいこともあるもんで」

兵馬に供する茶を支度をしながら、下っ引きの与太(よた)が口を挟んだ。

「るっせぇ、おめぇは若さまにとっとと茶を淹れな」

そろそろ初老に差しかかった伊作が、手下として使っている二十歳(はたち)そこそこの与太を叱り飛ばす。


「……で、あっしらは、なにをすりゃいいんでぇ」

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