大江戸シンデレラ
兵馬の父・松波 多聞が南町奉行所の筆頭与力なのに対し、北町奉行所では佐久間 帯刀が其の任に就いていた。
松波家同様、佐久間家が代々御公儀より賜ってきた御役目である。
実は帯刀は、さような「一足目の草鞋」とは別に「戯作者」と云う「二足目の草鞋」も履いていた。
この頃、木版印刷の向上によって、浮世絵以外にも「黄表紙」と云う変体仮名でものされた挿絵付きの戯作本が、廉価で世間に出回っていた。
変体仮名の識字率がほぼ十割と云われた江戸の庶民に、かような黄表紙は安価なのも手伝って売れに売れた。
すると、戯作者を目指す者が一気に増えて、中には御公儀に仕える旗本・御家人や諸藩に仕える藩士の身でありながら、趣味や実益を兼ねて戯作者になる者まで現れた。
実際のところ、「南総里見八犬伝」の滝沢(曲亭)馬琴、「金々先生栄花夢」の恋川春町、「半日閑話」の太田南畝などが、本来の御役目を隠して密かに筆を執っていた。
帯刀もそのうちの一人であった。
代表作「八丁堀浮世募恋鞘当」は、江戸に生きる与力、武家の娘、同心、吉原の遊女——四人の男女たちが切なく絡み合う恋模様が綴られており、戯作だけにとどまらず歌舞伎の演目にもなり、凄まじいまでの人気を博した。
「版元からは先頃の『傾城振袖絞戀涙』の売れ行きも悪うはないが、もっと町家の者たちの目を引く話の種はないか、と催促されておってな」