大江戸シンデレラ

あの頃より幾年月……

今の兵馬は妻女を娶るほどの歳となった。


「そうじゃ、兵馬。
先頃、嫁御を娶ったそうではないか」

公方(くぼう)様が愛息を亡くされた忌引(きびき)の折、親類縁者が立ち会うことなく祝言を挙げていたが、流石(さすが)に帯刀の(もと)には報せがあった。

されども、妹の嫁ぎ先である松波家を(おもんぱか)って、帯刀は妻をはじめとする家内の者にはそのことを伏せていた。

「しからば、勿体ぶらずにわしにさっさと『話の種』を告げて、おまえの帰りを待つ嫁御に(はよ)うその(つら)を見せてやれ」

帯刀はさように云いながら、手にした筆の穂先を(すずり)の墨にたっぷりと浸した。

「その前に(それがし)、伯父上に()()ともお願いしとうござることが……」

「起っきゃがれ、兵馬っ。
なんだってんだ、この野郎っ」

武家言葉だった口調が、がらりと変わった。
のらりくらりとした兵馬に、とうとう帯刀が痺れを切らしたのだ。

「こちとら、先刻(さっき)から勿体つけずにとっとと云えっつってんじゃねえかっ」

実は、町家の者を相手とせねばならぬ「町方役人」は、かような伝法な物云いの方が常であった。


すると、兵馬がふっ、と笑った。

怖いもの知らずな、文字どおり「向かう処ところ、敵なし」の不敵な笑顔だ。

幼き頃、あないに母親に似た穢れなき澄み切った笑顔を見せていたはずなのに……

長じて御公儀から「本当(まこと)」の御役目を承った今、いつの間にか父親に瓜二つのそれになっていた。


「だったら……(わり)ぃがよ」

兵馬の口調も伝法になった。

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