大江戸シンデレラ

「そいじゃあ、おめぇさんが(おもて)へ出るってぇなったら、亭主も気が気じゃねえだろよ」

兵馬は外へ向けて壁の方に目を送った。

此処(ここ)へ来る道中、やたらと手代を見かけたぜ。
……淡路屋の(たな)(もん)だろ。おめぇの亭主もいたかもな」

そして、ニヤリと笑った。


将来の跡取りになるやもしれぬ子を身籠った若女将に、もしものことがあらば「淡路屋の一大事」だ。
できるならば、外になぞ出したくはなかったであろう。

されども、岡っ引きが間に入っての町方与力の「御用向き」である。
町家の、しかも(あきな)いを稼業とする身とあらば断るわけにはいくまい。

さらにその町方与力とは、(ちまた)でおなごたちが黄色い声をあげる「浮世絵与力の(せがれ)」であった。

その与力は、若女将に供を付けることも認めず、たった二人きりで会わせろと云う。

まるで「媾曳(あいびき)」ではないか。

おゆふの亭主は、やっとの思いで手に入れた我が「恋女房」に、この与力がいったい何の話があるのか、と真っ青になった。

そこで、店の若衆である手代たちを駆り出させて、たとえ遠巻きにでも見張らせることにした。

そして、我が身もまた店を放っぽりだして、この日は付きっきりで采配することと相成った。


「もしかしたら……この壁の向こうで、だれかが聞き耳を立ててっかもしんねぇな」

その刹那、壁の向こうで、がたりと大きな音がした。
すかさず、ざわざわと人の声も聞こえてくる。

「慣れねぇことは、するもんじゃねえな」

兵馬がくくくっ…と笑った。

おゆふも大きく声をたてて笑った。
久喜萬字屋では御法度の笑い声だった。


「……それで若さま、本日はどんな御用向きでなんしかえ」

ひとしきり笑ったあと、おゆふが表情を引き締めて問うてきた。

「わっちをこないにまでして呼び出しなんしたからには、()()とも聞きたいことがおありでござんしょう」

< 393 / 460 >

この作品をシェア

pagetop