大江戸シンデレラ
家に帰った兵馬は、屋敷内には立ち入らず、真っ直ぐ厩へとその足を向けた。
「……弥吉っ」
馬の毛並みに沿って梳いていた、奉公人の名を呼ぶ。
兵馬が生まれるずっと前から、此の家に仕えてきた中間の男だ。
「若……今までどこにいなすったんでさ」
陽に照らされ濡れたような艶を放つ馬から、手を下ろした弥吉は尋ねた。
「悪りぃが、話は後だ。急ぎの用なのよ。
……影丸はすぐにでも出せるかい」
松波家では、手に入れた黒鹿毛の名馬を代々「影丸」と名付けていた。
「まさか、こんな昼日中に町中で馬をかっ飛ばしなさるんじゃ……」
「今のおれは、お上品に駕籠に乗ってくわけにゃあ、いかねぇんだ。
それに、人気のねえ裏道を、ちっとばっか影丸で駆けるぐれぇだからよ。心配は無用だぜ」
「……なにが『心配は無用』でござりまするか」
いきなり声が聞こえてきて、兵馬はその声の出処と思われる方へ顔を向けた。