大江戸シンデレラ
もし、母・志鶴が町方与力の妻女でなく、源氏判官義経であらば、直ちにその腰からすらりと太刀を引き抜いて、兵馬めがけて一気に袈裟懸けに切り込んできそうな風情であった。
また母だけではなく、その後ろにまるで武蔵坊弁慶のごとく控える女中頭・おせいも、凄まじい目で兵馬を睨みつけていた。
一刻を争わねばならぬと云うに、厄介な者たちに捕まってしまった。
兵馬は舌打ちしたい心持ちであった。
「母上、しばし家を空けてござったことはお詫びいたす。
その上で誠に申し訳のうござるが、某はちと先を急ぐうえ……」
「そなた、嫁御を迎えに行くがゆえに帰ってござったのではないのか」
「天女」の凍え切った目で、志鶴が息子を問いただす。
「……ほう、『嫁御殿』は祝言を挙げて早々、もう出て行ってござったか」
兵馬はにやり、と笑った。
向こうから出て行ってくれたのであらば、正直なところ手間が省ける。
「若さまがっ、ちっとも家に居りなさらんもんだから、御新造さんに愛想つかされちまったんでさっ」
どうにも堪えきれず、おせいが口を挟んだ。
「おせい、若に向かって何て口をきいてやがんだっ」
弥吉があわてて制する。おせいとは、かつて所帯を持っていた。
「おせい、某は御公儀に仕える身だ。此れしきのことが辛抱できぬ者なら、仕方あるまい。
……端から縁がなかったと思え」
兵馬は引導を渡すようにきっぱりと告げた。
先般、妻となった女は諸藩の下屋敷で生まれ育ったと聞く。
そもそも町方役人の妻なぞ、我が身には役不足であると侮っておったのかもしれぬ。
「ご、御新造さんは……若さまのために……
こうして……浴衣をお縫いなさって待ってたってのに……っ」
おせいが声を詰まらせつつ、胸に抱えていた風呂敷包みに視線を落とす。
「……だれが縫うたか云わぬよう、固く口止めされてござったのだが、致し方ない。
おせい、包みを解いて、その浴衣を兵馬に見せるのじゃ」
志鶴に命じられ、おせいはすぐさま結び目をはらりと解いた。
皆の視線が、風呂敷包みの中に集まる。