大江戸シンデレラ
◇幕 引◇
「ま、まさか……」
美鶴のつぶやきに、驚いた広次郎があわてて刀を鞘に戻した。
「松波様、御無礼仕ってござる」
直ちに地面に跪くと、兵馬に向かって深々と頭を下げる。
「某、北町奉行所 隠密廻り同心・島村 勘解由が嗣子、同じく北町奉行所の見習い同心・島村 広次郎にてござる」
いくら広次郎の生まれが兵馬の御家の「町方与力」より格上とされる「内与力」の御家であろうとも、養子縁組されて島村の人間となった今は一介の同心に過ぎぬ。
その証に、広次郎が名乗りをあげても兵馬は名乗らない。
「上」である与力が、身分の劣る同心にわざわざ名乗ることなぞ、万に一つもあり得ないからだ。
「天地神明に誓って、我らが世間に顔向けできぬことなどつゆもありはせぬが、もしも此度の責めがあるならば、すべては某の所為にてござる。
奥方様には如何なる科もござらぬゆえ、どうか良しなに願い奉ってござる」
広次郎はいっさい面を上げることなく頭を下げたまま、さらに続ける。
「さすれども、松波様が『妻敵討なり』と云われるのであらば……」
武家の妻が姦通して夫に露見すると、夫は御公儀(江戸幕府)に届け出をすれば、妻とその相手の男を叩っ斬っても罪には問われなくなる。
むしろ、叩っ斬らないと「恥」になるくらいだ。
ゆえに、時には逃亡した妻と男を追って、諸国を放浪することもある。
此れを「妻敵討」と云う。
「……どうぞ、某の首をお召しくだされ」
そして、広次郎は腰から大小の刀を鞘ごと引き抜くと、兵馬の方へ二本並べて差し出した。