大江戸シンデレラ
ふと思い出した舞ひつるは、あわてて袂から折り畳んだ漆喰紙を取り出した。
『士爲知己者死 女爲悅己者容』
と、流れるがごとき手で認められていた。
舞ひつるの手による写しだった。
——良うなんした。些か湿っとりんすが、ひどう濡れておらでなんし。それに、手も滲んでおらでなんし。
舞ひつるは安堵の息を吐いた。
漆喰紙は手習いの稽古で使う廉価な和紙であるが、されども吉原の妓ごとき風情が潤沢に使えるものではない。
「へぇ……きれぇな手だな。
『士は己を知る者のために死し、女は己を悅ぶ者のために容る』か」
いつの間にか、兵馬が膝で進み寄り、舞ひつるの手許の漆喰紙を覗き込んでいた。
「吉原でも最高峰の妓は、御大尽を相手にして如何なる話にも付いていかにゃあ商売にならねぇって聞くけどよ。おめぇさんたちはなんとまぁ、司馬遷の『史記』の一節までも学んでるってか。
武家の者でも、学問吟味を受ける奴ぁ別だけどよ、そうはいやしねぇぜ」
学問吟味とは、先達って御公儀が旗本・御家人の中で学問に秀でた子弟を役人に登用するために昌平坂学問所に設けられた試験で、時の老中首座・松平越中守(定信)が行った御改め(寛政の改革)の一環である。
「……確かに史記にも出てきなんしが、此の方は『戰國策』にてありんす。わっちは白文ではのうて訓読の林羅山の書で習っとりんすが……」
古の昔、唐の国で、当時すでに古書であった戰國策を司馬遷が読み、そののち自らの著書である史記に用いたと云われている。
ちなみに、我が身をよく知る人という意の「知己」なる古事成語は、これより生まれた。
この日、舞ひつるは昼から漢籍の講書を受ける手はずになっていた。
講ずるのは今は隠居となって一線を引いた儒学者であるが、やはり歌舞音曲の師匠たちと同じく、かの道では名を知らぬ者はいないらしい。
「漢籍のお師匠さまより、次までに己なりに言葉の意を考えよ、と云われてなんし」