大江戸シンデレラ
「確か……男はおのれを信じて任を与えてくれる者のためなら死を賭して忠義を尽くし、女はおのれを慈しんでくれる者のためなら美しくなろうとする、っていう意味じゃなかったか」
兵馬は懐手をして、ぼそりとつぶやいた。
そのとき、舞ひつるは覗き込まれている兵馬の顔が、我が身のすぐ脇にあることに気づいた。
ゆえに、そーっと身を引く。
すると、兵馬は思案顔のまま、その場にどかりと座り込んでしまった。
しかも、また近づいているような……
「『士』のことが事の本意で、『女』はただ対で使うてなんしは承知しとりんす」
舞ひつるはとまどいを隠しつつ、言葉を返した。
劉向によって編纂された「戰國策」には、かように記されている。
唐の国が戦乱に明け暮れていた時代、普の国で生まれた豫譲は、いろんな武将の下を渡り歩くもなかなか思うように取り立ててくれる者がなかったが、とうとう自分に任を与え重用してくれる主君に出会った。国の重臣・智伯である。
ところが、その智伯が政敵・趙襄子との戦で命を落としてしまう。
その際に豫譲が復讐を誓って放った言葉の一節が『士爲知己者死,女爲悅己者容』である。
されども、自ら刺客となり我が身を犠牲にしてまでさまざまな策を講じたにもかかわらず、豫譲は敢えなく趙襄子に捕えられ、結局のところ復讐を果たすことなく自死してしまうのだが……
「『士』の方の意味はそのまんまじゃねぇのか。
特に、おれら武家の者にとっちゃあ、物心ついた頃から耳に胼胝ができちまうってくれぇ聞かされてるってのよ」
元禄の頃の「假名手本忠臣藏」 にもあるように、主君の仇討ちのために命を差し出すのは、武家の鑑である。
また、戰國策の挿話から鑑みても、豫譲の心持ちがそのまま顕れているとしか思えぬ。
「だが……『女』の方はどうだろな。
……まぁ、おれは男だからなぁ。おなごの気持ちは理解りっこねぇけどよ」
漢籍のお師匠さまも男だが、飄々としてなかなか掴みどころのない雲のごときお方だった。
とは云え、廓の妓に講じている以上、より答えを望まれているのは「女」の方に違いない。