大江戸シンデレラ

(くるわ)では、遊女や女郎が惚れた男のことを「間夫(まぶ)」と云う。

見世の客として知り合うのがほとんどだが、中には見世に出入りの(あきな)い人や、(まれ)故郷(ふるさと)に置いてきた幼なじみなどがある。

いずれにしても、もし見世にとって(びた)一文にもならぬ「逢引」であらば、御法度である。
見つかり次第、ただでは済まされぬ。

二人が如何(いか)ほど心を通わせていようが——哀しいことに、たいていは(おんな)の方が逆上(のぼ)せて舞い上がっているだけだが——お構いなしに引き離される。

間夫は見世が用心棒に雇った荒くれ者から半殺しの目に遭わされて、二度と吉原の大門を(くぐ)れなくなり、妓も罰として目を覆うほどのきつい折檻を受け、しばらく働けぬ間にますます負い目(借金)が(かさ)んで年季明けが遠くなる。

それは、ほかの妓たちに観念させるせるための「見せしめ」でもあった。


されども、そもそも舞ひつるは、久喜萬字屋(くきまんじや)主人(あるじ)やお内儀(かみ)から、町家の豪商の娘に負けず劣らずの「箱入り」で育てられていた。

たとえ見世の男(しゅ)であっても、おいそれとは近づけない。

ゆえに、さような我が身に、とても「好いた男」が現れる折が訪れるとは思えぬ。

——お祖母(ばば)さまも、おっ()さんも、好いた殿方の子を産みなんしたと聞いとりんすが……

二人とも、廓の最高峰「呼出」の身であった。
外に出ることなど、とんとなかったであろう。

にもかかわらず、如何ように子の「父」となる者に出逢ったのか、その経緯(いきさつ)は両方ともこの世におらぬ今、知る(すべ)はない。

——きっと「客」として()なんしたお人にてありんす。

育ててくれた見世を裏切るような度胸なぞ、微塵もない舞ひつるには、とうてい客以外の者に身を任せる心持ちになんてなれなかった。

やはり、我が身の初花を散らせるのは、初見世で買われた客としか思えなかった。


「ところでよ、おめぇさん……名はなんて云うんでぇ」

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