大江戸シンデレラ

しばしの思案のあと、舞ひつるは(すずり)から適量の墨を筆に含ませて、滑らせた。

『吾が背子は 待てど来まさず 天の原 振りさけ見れば ぬばたまの 夜も更けにけり』

〈私の恋しい人は、どんなに待っていても来てはくれない。大空を見上げると、漆黒の夜が刻々と更けていく〉

『風をだに……』の鏡王女のものとする説もあるが、『來むと云ふも……』の大伴坂上郎女の甥である大伴家持と短いひととき情を交わした、笠郎女が詠んだのではないかともされる長歌の、冒頭(はじめ)の一節である。

別れたあとも笠郎女は、いくつもの未練の歌を書き贈ったと云われる。

対する家持からの返り歌は、実に素っ気ないものであった。

されども、家持が編纂に携わったとされる万葉集には、なんと二十数首もの笠郎女の歌が収められている。

それだけ笠郎女の詠んだ歌が他に類なくすばらしかった、と云うことであろうが……

数多(あまた)の女人と浮き名を流していたと云われる家持である。

舞ひつるには、家持が如何(いか)におのれから離れられぬ(おなご)がいたのかを、後世の者たちにこれ見よがしにひけらかすためであるように思えてならなかった。


(とど)のつまり……」

おもむろに、羽衣が口を開いた。

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