大江戸シンデレラ

羽衣が(ねんご)ろにしている御公儀(幕府)のさるお偉方が、近頃とんと姿を見せていなかった。

御公儀の御触れによる御役目(参勤交代)により、安芸国の領地へ戻っているのではない。
そもそも、国許(くにもと)に帰る必要のない新田(しんでん)藩の藩主である。

聞くところによると——江戸におられる奥方様が御懐妊されたらしい。

お偉方と奥方様にはすでに二人の御子があり、いずれも女子(おなご)であった。

奉行所勤めの役人くらいの身分であらば、たとえ娘だけしかいなかろうと、文武に()けた旗本あたりの二男・三男を婿に取れば、何の差し障りもない。

されども、藩主・大名家ともなれば、話は別だ。

此度(こたび)こそは何が何でも男子(おのこ)誕生を、と青山緑山の淺野屋敷を挙げて連日連夜、加持祈祷に励んでいると云う。

奥方様の(よわい)から此度が最後の機会になるやもしれず、それでもしまた女子であらば、家老の面々からはいよいよ側室を促す声も出ているようだ。


(ひるがえ)って吉原の(さと)では、(おんな)が孕むなどと云うのは「失敗(しく)じり」以外の何物でもない。

孕んだ子を、生かす(産む)のなら親が拵えた負い目(借金)が増えておのれの年季開けが遠のき、殺す(堕ろす)のなら中条(子堕ろし)へのお(あし)が掛かる。
もしそのお代を吝嗇(けち)って自ら鬼灯(ほおずき)でも使って始末しようものなら、下手すれば二度と子を孕めぬ身体にどころか、高い熱を出して命すら危うくなるかもしれない。

八方塞がりとは、かようのことだ。

いずれにせよ、子を生かすも殺すも「商売道具」である我が身がすっかり子を孕む前に元どおりと云うわけにはいくまい。

ちなみに、子を生かしたときは、舞ひつるのように女子であらば子ども屋へ預けられ、ゆくゆくは廓の妓となる。

男子であらば、物心つくまでは面倒をみてもらえるが、その後は見世の下働きでもしてさんざんこき使われながらもなんとか糊口を凌ぎ、ゆくゆくは用心棒の男衆(おとこし)になるのが関の山だ。

見目が良ければ、男色相手の陰間茶屋に放り込まれて男娼となる者もいるが、声変わりを機に一気に客が減るため、「仕事」ができる時期は女子に比べて格段に短い。

ゆえに、廓では女子が生まれた方がありがたがられる。

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