大江戸シンデレラ

◇玉ノ緒の場◇


その日の久喜萬字屋は、振袖新造(ふりしん)・玉ノ緒が身請(みう)けされる話で持ちきりだった。

此度(こたび)、玉ノ緒を落籍()かせることに決まったのは淡路屋(あわじや)という廻船問屋で、江戸府中で知らぬものはいない大店(おおだな)だ。

先頃、其処(そこ)の跡取り息子が「世間」を知るため、父親である主人に連れられて吉原にやってきたのだが、どうやら玉ノ緒を見初めたらしい。

以来、親の目を盗んで、しばしば通っていたと云う。


淡路屋の主人にとって(おそ)く生まれた念願の一人息子は、まだ二十歳(はたち)にも満たないと聞く。
若さゆえ、初めての「恋」に頭に血が上ったのであろう。

だが、(くるわ)通いは大金が掛かる。
大事な店の金を持ち出しての所業であった。

ふつうであらば、さような銅鑼(どら)息子、勘当して店から叩き出すところである。

ところが、父親としては我が子かわいさ余ってしのびなく、息子がそないに想いを寄せる(おんな)なら、いっそのこと嫁に迎えるか……と、なったに違いない。

また、大店を預かる当代の身としては、我が目の黒いうちに次代を任せる跡取りにしっかりと身を固めさせておきたい、と云う算段なのかもしれない。


実は、「振新」は町家で商売をやっている商家にとっては、なかなかの「掘り出し物」なのだ。

歌舞音曲はもちろん詩歌や和漢籍の教養を叩き込まれている上に、廓の一癖も二癖もある客で鍛えられているため肝の座り具合も半端なく、客遇(きゃくあしら)いなんて、お手の物だ。

にもかかわらず、まだ一度も客を取らぬ生娘ときている。


花街で培われた色気の滲んだ美しい容姿に、客を最上にもてなしても決して媚びは売らない「吉原遊女」の心意気は、町家の娘が束になってかかっても、(かな)うものではない。

よって、商家が跡取り息子の嫁に振袖新造を()う話は、決して少なくはない。

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