大江戸シンデレラ
あの日以降、舞ひつるが兵馬に逢うことはなくなった。
あんなに日参していた明石稲荷ではあるが、すっぱりと詣でるのをやめたからだ。
今では、見世の外に出ることもない。
それどころか、一階の張見世の籬(格子)の隙間からも、二階の座敷の障子窓からも、表の大通りを眺めることはなかった。
舞ひつるは、よりいっそう歌舞音曲の稽古そして和漢書の講書に精進した。
さような姿は、側から見れば鬼気迫る様に見えた。
されども、玉ノ緒が見世から去ったあと次代を担うのは舞ひつるしかおらぬようになったがゆえの「気概」だと思われた。