三日月と狼
「そろそろ帰るね。」

花澄は居所が悪くなって席を立とうとした。

すると玄関がガラガラと開く音がして

「ケイー!帰ったぞ!」

と大きな声が聞こえた。

「あ、家主が帰ってきた。
花澄さん、もう少し待ってください。」

「え?でも…」

家主の留守中に上がり込んで変な誤解を受けないかと花澄は不安になった。

しかし、花澄と違ってケイは何も深く考えていない様だ。

それはケイには全くその気が無いと言うことで、
花澄は自分のことが恥ずかしくなった。

「ヒロさん、僕のお客さんが来てるんだ。」

「へえ。珍しいね。」

「映画館で知り合って…素敵な人だよ。」

ケイとは全く違う大きな足音が近づいてきて
花澄は緊張した。

「こんにちは。」

花澄はその男の顔を見てびっくりした。

ヒゲも髪も伸びっぱなしでワイルドという言葉はこういう人の為にあると思った。

「こ、こんにちは。お邪魔してます。」

「花澄さん、ここの家主のヒロさんです。

僕がいつもお世話になってる人です。」

ヒロは花澄の顔を見て、しばらく固まっていた。

「ヒロさん、どうしたの?

花澄さん、美人だから見惚れちゃった?」

ヒロはケイに言われてハッとした様に花澄に向かってもう一度、頭を下げた。

「ゆ、ゆっくりしてって下さい。
な、何なら夕飯も一緒にどうですか?」

花澄がどう断ったらいいか困っていると
ケイが横から助け舟を出した。

「ヒロさん、花澄さんは家庭のある人だから
もうすぐ帰らないと…旦那さんに怒られちゃいますよ。」

「あ、あー。そっか。」

ヒロは少しがっかりした様子で花澄にもう一度頭を下げた。

花澄はそれを聞いて少し寂しくなった。

わかってはいたけれど花澄はケイに自分になんか全く興味がないと言われたみたいな気がした。

少しだけでもそんな気持ちになってくれたら、
家を出る自信がついたかもしれないと花澄は思う。

恋をしたいと言うより、
どこかに逃げたいというのがホンネだが、
それは思ったより難しい。

ケイのような男を目の前にした時、
今は男でも作って消えたいと言う
どうしようもなく浅はかで馬鹿らしい考えしか浮かばなかったが、
そんな勝手なことは神様が許さないんだと思った。

結局、ヒロに挨拶してすぐ花澄は家に戻るしかなかった。

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