オオカミ社長は弁当売りの赤ずきんが可愛すぎて食べられない
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同時に俺は思い出す。弁当にばかり気を取られていたが、そもそも俺がこの弁当屋に足を向けた切欠は『温かい豚汁あります』ののぼりだったのだ。
「では、代金を――」
「ふふふっ。これは、私からのおごりです」
俺が、一度しまった財布を慌てて取り出そうとすれば、少女が笑顔で待ったを掛ける。
「それでもし、美味しいって思っていただけたら、またお弁当を買いに来てください?」
芳しい豚汁の香り。けれど俺には、豚汁よりも少女の微笑みの方が、一層芳しく魅力あるもののように感じられた。
「では、有難くいただこう」
俺は少女の手から、そっと豚汁の器を受け取った。
その時に、俺と少女の目が合えば、少女はニコリと笑みを深くした。
「ふふふっ、それじゃ私、仕事があるのですみません」
少女はそう言ってペコリと会釈すると、弁当屋の雑務に取り掛かった。
俺は弁当と豚汁を手に、一人ふらふらとベンチに向かった。
花が綻ぶような、少女の可憐な笑みを目の当たりにし、俺の胸がドキドキと強く速く鼓動を刻む。しかも動悸は、まるで止む気配がなかった。こんな経験は、俺の二十二年の人生の中で一度もなかった。
……己の意思とは別のところから湧き上がる、このふわふわとした高揚感はなんだ?
ベンチに腰掛けて、空を仰ぐ。
俺は日本の最高学府に学びながら、三年時に司法予備試験、四年時に司法試験合格を果たしている。数度の海外留学も経験しており、語学にも自信がある。幼少期から打ち込んできた剣道では、四段を持つ。ちなみにこれは年齢制限を鑑みた、最短取得だ。
また司法試験合格前にルーティンとしていた株運用では、緻密な投資判断が功を奏し、世でいうところのオクリビトと呼ばれる一人にもなっていた。
俺自身これらの事から、文武はもとより世情、社会通念にも明るいという自負があったのだが……。
「世の中とは、いまだ未知の事象で溢れているのかもしれん……」
ポツリと呟いて、器から温かな豚汁を啜る。
「なんだこれは!?」
突き動かされるように、二口目を啜る。
「間違いない……!」
二口目を飲み下し、確信した。
この豚汁との出会いもまた、俺にとって未知との出会い。一口含めば、体が内からカッカと熱くなる。この豚汁は、俺という人間に新たな世界を臨ませる、危険な美味さだ!!
俺は一人、手に汗を握りながら、危険な美味さの豚汁を啜った。
そんな俺を、件の弁当屋の少女がクスクスと笑いながら見つめていた事に、未知の美食(豚汁)に震える俺は、欠片も気付けなかった。