オオカミ社長は弁当売りの赤ずきんが可愛すぎて食べられない




 役員会の後、経営企画室に戻ろうとする俺の背後に、何者かが足音を忍ばせて寄ってくる。
 ……はぁ。こんな馬鹿げた事をする人物など一人しか知らん。
 俺が敢えて気付かぬ振りを決め込んでいれば、エレベーターホールに差し掛かったところで、後ろからトンッと肩を叩かれた。
 若干の呆れを滲ませて俺が後ろを振り返れば……、俺の頬に、ムニョッと何かが食い込んだ。
「……まさか、振り向きざまの頬に何かを食い込まされようとは、流石に俺も読めませんでしたね」
「ふふん。だって明彦君、僕が忍び足で近付いてるのに気付いてて、わざと無視してたでしょ?」
 見事、悪戯を成功させた東日本統括部長は、したり顔で俺を見つめていた。
「まったく貴方という人は……で、これは一体なんですか?」
 おもむろに、頬に突き入れられた固いステック状の何かを掴む。……ん? 冷たい?
「それね、僕から社長就任祝い。遠慮せずに受け取って?」
 東日本統括部長の手から受け取った『それ』を見る。『それ』は『オフィスアイス』で販売されているシャーベットアイスだった。
 手の中のシャーベットアイスを見下ろしながら、俺はふと、これがチョコレートのアイスバーだったら、月子がさぞ喜んだだろうにと考えた。
 ……いや、もしかしたら月子はシャーベットアイスも好きかもしれない!
「では、遠慮なく」
 思い直した俺はありがたくもらう事にして、手の中のシャーベットアイスが少しでも溶けぬよう、手持ちのハンカチに包んで持ち直した。
「お、喜んでもらえたみたいで良かったよ」
 そうして東日本統括部長は、ニコニコとした笑みで、俺の隣を歩きながら何気ない調子で続ける。
「いやいや明彦君。僕は当初さ、会長がラブホテルと言った時は耳を疑ったんだ。だけど結果的には、見事な着地点を見出したんじゃないかな。ただのラブホテルなんて、繁華街に一歩足を踏み入れれば腐るほどあるからさ。だけどこれは、そういうのとは一線を画してる。これ、絶対にあたるよ」
 ……あたる。それは、話の流れで語られた、ほんの軽口。
 けれどそれを語ったのが東日本統括部長ならば、それは軽口の範疇に収まらない。OGAMIグループの数々のプロジェクトを成功に導いてきた東日本統括部長には、プロジェクトの十年先二十年先を見通す力がある。
「ありがとうございます。東日本統括部長にそう評していただけたからには、俺は【ウル・フラージ】を日本一、いや世界一のホテルにしてみせます」
 父の懐刀としてその腕一本で伸し上がってきた東日本統括部長の実力は伊達ではないのだ。
「はははっ、頼もしい話だね。だがね、それも夢物語ではないよ。だって実際、目の付け所がいいからね。……案外、会長が真に望んだ形に近いんじゃないかな」
 東日本統括部長の最後の一言はきっと、役員としてのそれではない。父の友人として語られたものなのだろうと感じた。
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