剣に願いを、掌に口づけを―最高位の上官による揺るぎない恋着―
 もちろんクレアが指したのは逢瀬を約束している恋人だった。

『ドュンケルの森に行けばアスモデウスに会える』

 許されぬ相手との約束を公にできない彼女はそんな冗談を周りに話していたらしい。アスモデウスは美を司る。

『彼に出会って私はもっと綺麗になろうと努力するようになったの。あながち間違っていないでしょ?』

 クレアはそう笑いながらテレサに告げた。

 親しくなるにつれ、テレサは手に入れた注射器でクレアに瀉血を行うようになった。適度に血を抜くのは、新しい血液の生成を促し健康や美容にいいと他国では主流の医療行為だった。

『先生のおかげで私、前よりも綺麗になった気がする』

『あなたが努力しているからよ』

 なによりも恋する気持ちがきっと一番大きい。しかしクレアは恋人に裏切られ、あんな最期を迎えることになってしまった。

 『アスモデウスは青年に化けて、気まぐれに出会った女性に美しさを与える』

 ――こんな噂だけを残して。

 それからアスモデウスとの接触を半信半疑で試みてやってきた女性にテレサは声をかけた。クレアを諭したときのように『そんな存在などいない』と言いながら。

 その中で、思った以上に深刻な事情を抱えた女性たちもいた。クレアとつい重ねてしまい、興味本位ではなく痩せたい、綺麗になりたいと切羽詰まった想いを抱えている者だけにうやがてテレサは瀉血を行うようになる。

 他言無用で絶対に秘密だと言い聞かせ、少しでも彼女たちの想いが報われたら、と願っての行為だった。

 しかし、事態は思わぬ方向に進んでいく。
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