剣に願いを、掌に口づけを―最高位の上官による揺るぎない恋着―
「この話、他言なさらないでくださる? とくにアルノー夜警団の方には……」

 セシリアの心臓が早鐘を打ち始める。嘘をつくのには慣れているし、動揺も隠し通せる。ただ、続けられるテレサの言葉がなんとなくいいものではないのはわかっていた。

「彼女は獣に襲われて亡くなった。それは事実よ。でも発端は自分の首に刃を当てたからなの」

 ジェイドは目を丸くしたが、セシリアは眉ひとつ動かさない。テレサの声には感情が混じっておらず淡々としていた。わざとそうしているのかまでは察せられない。

「その血の匂いに誘われ獣がやってきたのよ。ベテーレンの香りを獣は嫌うけれど血の匂いが花の香りを上回ったんでしょうね」

 だから出血した首だけに噛み跡があった。他の箇所が荒らされていなかったのは花の香りが勝ったからか、獣の呻き声に気づき発見が早かったからか。

 これで遺体の気にしていた謎が解ける。だが、そうなると新たな疑問が湧いた。

「……どうして彼女はそんな真似を?」

 聞いたのはジェイドだ。セシリアも静かにテレサの返答を待つ。テレサは歩調を緩めつつ、やはり顔は前を向いたままだ。

「どうやら待ち合わせをしていた恋人に別れを告げられたみたいなの。そのショックで、自棄になったんでしょうね」

 ジェイドもセシリアもつい眉をひそめた。雲の厚みが増し辺りが急激に暗くなる。水気を含んだ空気がじっとりと肌に張りついた。

「婚約者がいるのにも関わらず別の男性と……というだけでも醜聞なのに、さらに相手に裏切られて自刃なんてあまりにも可哀相だって彼女の両親に頼まれたの。だからアルノー夜警団には獣に襲われたという内容で報告したわ」

 虚偽の申告は咎められるものだ。とはいえ一概にテレサの行動を責めることもできない。重い沈黙が一同を包んでいると、いつのまにか目的地にたどり着いた。
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