地雷
遠距離恋愛

     1

 菊池はそれから毎日、午後十時になると亜里沙に電話した。カンボジアでは午後八時だった。
 季節は七月になっていた。連日蒸し暑い日が続いていた。
 ある晩のことである。夜十時になり、菊池はいつものように亜里沙に電話した。
 五回コール音が鳴った後、亜里沙の声が受話器から聞こえた。だが、どこか悲しそうな声音だった。
「どうした。何か大変なことでもあったかい?」
「そうじゃあないんだけど、わたしホームシックにかかってしまったようで、けんちゃんにも会いたいし……」
「それは俺も同じだよ。毎日この電話の時間だけが俺の生きがいだ」
 受話器の向こうからの声が途絶えた。
「もしもし、聞こえるか?」
 菊池が耳を澄ますと、亜里沙のすすり泣きが聞こえてきた。
 菊池はしばらく言葉を発することができない。
 しばらく沈黙が続いた。この沈黙を亜里沙が破った。
「わたし、日本に帰りたい。こんなに大変だとは思わなかったわ」
「そんなに過酷なのか?」
「そうよ。朝九時から夕方五時まで、四十度近い砂漠のような平原で黙々と作業するの。わたし、こんなに大変とは思わなかったわ」
「じゃあ、無理しないで帰っておいで。俺もそのほうが嬉しいし、銀行も早く帰ってくる分に越したことはないからね」
「でもここにいるスタッフに悪いわ。自分だけ仕事を放り投げるなんて」
「仕事ではないだろう。それはボランティアだ。ボランティアは自分のできる範囲でやればいいことだろう」
「それは分かっているんだけど……」
 このとき、菊池にある疑念が浮かんだ。もしかして、派遣先で若い男性と親しくなっているのではないか? 何しろ自分はカンボジアから四千二百キロも離れた日本にいるのだ。だが、連中は毎日一緒に活動している――。
 だが、菊池は直接亜里沙にはそのことを問いかけなかった。そのかわり別のことを言った。
「それじゃあ、俺も夏休みを取って亜里沙に会いにいくかな?」
「嬉しい。きっとだよ。いつ来てくれる?」
「そうだな。今週は仕事が立て込んでいるから、来週にでも行くかな。月曜から金曜まで取得すれば五日間でちょうどだよ」
 関越銀行の夏季休暇は、毎年七月から九月の間に、業務の都合を見て五日間取得できる。
 菊池は、本当にそうしようと思った。仕事は、村尾良一主任に任せておけば安心だ。村尾のどこか冷たいクールな表情を思い浮かべた。
「よし。じゃあ、来週一週間は休むとしよう。今週の土曜日に出国するよ。ところで、どこかに宿は取らないといけないな」
「そうね。わたしたちは宿舎があってそこで寝泊まりしているけど、さすがに外部の人を泊めたとなると怒られるからね」
「分かった。じゃあ、ホテルを予約するよ。亜里沙の業務が終わった後にそのホテルで落ち合おう」
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